• COLUMN
  • 2020.07.07

今を生きる私達、無くてはならないStreetball

こんなことになって、世界中の街のHoopが閉ざされて、横長の小窓でしか人と会えなくて、繰り返す朝も夜も短くなって、部屋の角を見ながら、去年までの日常が、20年代ではいかに非日常になったのかを、誰もが強制的に考えさせられました。

これまで無頓着で粗野な私達が、乱暴に接していたStreetballは、常に開かれた、常に無償の愛で向こうから手招きしてくれる場所でした。
しかしこれからは、“Streetballとは皆の行動で勝ち取るもの”、そう変わりました。時代は不可逆です。

そのコートでプレーしたければ、マナーとルールを守る。場と人に敬意を払う。それがこれまで。

今から先は、日常生活すべての社会規範や心づかいのある行動、その集積の結果として、Streetballが、街のHoopが待っています。
できればもう二度と、橙と黒のフェンスに囲まれたプレイグラウンドや、リングの外されたボードは見たくありません。
きっともうすぐ出来上がる英雄達の叡智の結晶、それが世界中に行き渡るには、まだまだ時間がかかります。

“Streetballとは自由の象徴”。
そうこれまで私は勝手に表現してきましたが、この機会に改めてあの場所に思いを馳せました。

Streetballとは、屋外で行われるバスケットボール。
Streetballとは、初期衝動。
Streetballとは、若気の至り。
Streetballとは、希望の場所。
Streetballとは、挫折の場所。
Streetballとは、今日からまた積み上げる場所。
Streetballとは、いつかはサヨナラをする場所。
Streetballとは、最後に戻ってくる場所。

これらを身にまとった色んな立場の人々が集まる場所。なのでやっぱり自由の象徴。

人種も、肌の色も、性別も、年齢も、全て無条件で受け入れてくれる代わりに、“Next”は全員で一斉に奪い合い、コートで相手は問答無用で叩きのめしてきます。全て平等。

だからストリートボーラーが相手にも自分にも言い聞かす言葉は、いつだって「No Excuse」です。

今を生きる私達、無くてはならないStreetball。
あんなに口は達者なのに、文章を打ち込むことは忌み嫌うストリートボーラー連中に代わって、これを書きました。

ようやく取り戻し始めた“オレ達のピックアップゲーム”だけじゃなく、ALLDAYが、SOMECITYが、3×3が、匂い立つタフゲームは必ず帰ってきます。
そのために私達が今できること、それはご存じの通りですね。

今を生きる私達、無くてはならないStreetball

TEXT / PHOTO by DJ MIKO

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