【FIBA WORLDCUP 2023】暁を待っていた(vsカーボベルデ戦)
ミックスゾーンで、西田優大は泣いていた。
「何て言うんすかね。試合に勝って、パリを決めて嬉しいっていう感情と……ほんとに激しい競争を勝ち抜いて、メンバーに残って、トムさんにガードとして必要とされてる中で、結果が残せなかった悔しさと……まあ、そんな、いろんな感情が、今はちょっと、あふれてます」
心の中のほとんどは悔しさと無念で占められていた。だけど、チームの偉業達成を喜び、ファンに笑顔で手を振った。
「これだけのファンの方が来てくれて、すごい盛り上がって、(自身はほとんど出場していないにもかかわらず)それでも応援してくれてる人が、あの……こんな僕でさえも応援してくれてる人がいて。なんか色々思うと。もっとやりたいなとか、もっとやれるなっていう思いもあるし、まだまだ上手くならなきゃいけないなっていう部分もあるし。 はい。色々感じさせられる日だったかなって思います」
190センチの長身にシュート力とディフェンス力、高い状況判断力を持ち合わせた西田は、フリオ・ラマスヘッドコーチ時代から含め若手随一の代表経験を持っている。今大会に向けては従来のウイングポジションからポイントガードにコンバート。慣れないポジションで必死に自分らしさを模索してきたが、プレータイムは平均2.4分に留まった。
「正直、東京の3連戦ぐらいから徐々にプレータイムも減っていって、 それでも気持ちを切らしたら負けだと思ってたので、もう常に準備する気持ちだけは切らさずに、ゲームの後にワークアウトをしたり、コンディショニングに取り組んだり、そういうのを常にやってたので、もういつか来るぞっていうのを自分に言い聞かせながら、やってました」
タイムアウト時にはたいてい、両隣の仲間たちの肩を抱いていた。「チームとしてって考えた時に、僕らがベンチで何できるかって考えたら、もうほんとあれぐらいのことしかできないので。声を出して、そういうのを意識してやってました」と理由を話した。
大会中、誰より早くコートに入ってシューティングを行い、ベンチでも全力でチームを盛り上げた井上宗一郎も、プレータイムが得られなかった悔しさに涙しながら取材に応じていた。そう伝えると西田はしばらく沈黙した後、震える声で「うん」と一呼吸置き、言った。
「でもまだ…何ていうんですかね。正直パリを目標にはしていましたけど、これからまた新しい旅が始まると思っているので。まだ足りない部分を宗一郎と共に準備しながら頑張っていけたらなと思います」
河村勇輝は多少興奮はしていたが、おおむね冷静に見えた。歴史的瞬間に向けたカウントダウン中は、自らが喜ぶことよりも渡邊雄太にウイニングボールを渡すことで頭がいっぱいだった。
オフェンスではペイントアタック、アシスト、3ポイントと自在にプレーし、ディフェンスでは相手ポイントガードに激しくプレッシャーをかけ、起点をつぶした。5試合平均スタッツは23.8分出場、13.6得点、7.6アシスト。初のワールドカップとは思えないパフォーマンスだった。
この大会期間中、河村は勝ったあとも負けたあとも「成長」という言葉を口にした。
私が河村のプレーをまともに見たのは、彼が高校2年生のころ。いい選手だとは思ったが、その5年後に日本代表の一員としてワールドカップに参加し、日本バスケ界を変えるピースになるとは想像だにしていなかった。彼は毎年毎年、びっくりするほどに大きく変わっているし、これからも変わっていく。
かつて、自分がこれだけ成長できると思っていたか、河村に尋ねた。
「んー……わからないです。ただただ、バスケットが本当にうまくなりたい。ただそれだけの気持ちで練習してきてます。練習量も世界だったり、日本に比べて、他の人よりやれてるかって言うと、それもわからない。ただ、自分はどこまでできるんだろうっていうことを考えながらやってる。なんかもうそれだけですかね。どんくらい成長してるとか、もうわかんないです」
長年代表活動をしてきた選手たちから学んだこととして河村は「勝てなかったことへの反骨心や悔しい気持ちをぶつける強い気持ち」と話したが、今大会活躍した河村、富永啓生、吉井裕鷹ら20代前半の選手たちが世界にぶつけたのは、ただひたすらに等身大な自分だったように感じた。
「風の時代の子」
馬場雄大は若い世代の選手たちをこのような詩的な言葉で表現したが、世界での負けを知らぬ彼らは、風のように軽やかに、勢いに乗って、臆することなくワールドカップを戦った。
渡邊雄太はようやく笑った。
2021年の東京五輪。2019年の中国ワールドカップ。その前のオリンピック最終予選も含めると、世界大会で10連敗を経験した。中国ワールドカップでは思い詰めた顔で「日本代表として恥だと思う」と発言し、東京五輪ラストゲーム後は一人椅子に座り、シャツで顔を隠していた。そんな渡邉の心からの笑顔が見られたことが、たまらなく嬉しかった。
渡邉は2019年のワールドカップについて問われ、このように話した。
「NBA選手が2人いて、Bリーグも盛り上がってきてて、それこそあの時も『史上最強の日本代表』みたいな感じで言われてたけれど、ああいう不甲斐ないというか、結果どうのこうのよりも戦えなかった…気持ちで全然準備ができてなかった大会でした。(81-111で敗れた)ニュージーランド戦は特に恥ずかしいプレーをしてしまったっていう思いがあった中で、 その時のメンバーも含めてみんながしんどい思いをしてきたからこその、今回のもう最高の5試合だったと思うんで、ほんとすごい誇らしいです。自分たちが本当にもう」
もはや知らぬ人はいないと思うが、渡邉は8月19日に行われた壮行会で、1万人以上の観客に向けて「パリに行けなかったら代表のユニフォームを脱ぐ」と宣言した。初戦のドイツ戦後には会場内にぽっかりと空いた空席群についてSNSで言及し、FIBAが権利を保有していたその席を観客に再分配させ、アリーナを本当の意味で満員とすることに一役買った。
プレーやチームにおよぼす影響は言わずもだがなだが、こういった点でも渡邉は今大会におけるスーパーMVPと呼べる存在だった。
「どちらも計算してやったわけではないんですけど、今までも自分自身を逃げ切れない状況というか、崖っぷちの状況に追い込んだ時に、力を発揮できてきてたんで、今回ももしかしたら何か変えられるんじゃないかなって。ほんとにそんな感じです(笑)。ただ、言ってしまった手前正直すごい不安でしたし、本当に今回、代表のユニフォームを着るのは最後になるんじゃないかなっていう思いを持って、この沖縄に乗り込んできたんで。実際、負けたら本当に僕はやめるつもりだったんで、だからまあよかったです。これで、まだまだ代表を続けられます」
比江島慎、富樫勇樹、馬場雄大。長らく日本代表を背負い、世界に跳ね返されてきた彼らも、渡邉と同様に「今回結果が出なかったら代表を引退する」という覚悟をもってこの大会に臨んだ。
パフォーマンスの波が大きかった富永に、馬場は「お前のシュートが必要になるから自信を持って打て」、渡邉は「カリーはスリー10分の0だった次の試合でNBAレコードを出した」と励まし、彼の爆発的なシュート力を引き出した。いわゆる”声よりもプレーで引っ張るタイプ”だった富樫と比江島は声を枯らしてチームを鼓舞し、これまでの大会ではエゴの強いプレーが目立った馬場はロールプレーヤーとして輝いた。
富永は「先輩方からは助けてもらってばっかりでした。本当に頼もしかったです。これからは自分たちがああいうふうになっていかないといけないと思った」と話した。
カーボベルデ戦を終え、メディアルームを出たのは午前2時を回ろうというタイミングだった。宿泊先に帰っても、取材音源の文字化や試合の再考証、思考の言語化は続き、祝杯をあげるタイミングを完全に逸した。
5時半過ぎ。作業の手を止めて、徒歩30秒の場所にある海に出た。新しい時代が始まる朝を感じたかった。宿泊していた北谷の海は西側にある。朝日はまったく見えないとすぐ気づいたが、まあいいかとしばらく空と海を見ていた。
前日のスーパームーンは、すでに四分の一ほど欠け、白くかすんでいた。海に背中を向けると、東の空は、黄、緑、青、白、灰、ピンクと様々な色が絵の具を散らしたように滲んでいる。台風の影響で風が強い。大きな雲がコマ送りのように迫ってくる。
6時21分。マンションの陰から陽光が指し、空が金色に輝いた。
歴史が変わった暁の空は、とてもとても美しかった。
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TEXT by miho awokie