ステファン・アシュプール “BEST B-BALL LIFE”
「バスケットボールが僕の原点なんだ」。フランスの人気ブランド”Pigalle(ピガール)”のデザイナー、ステファン・アシュプールは、フランスのバスケットボールカルチャーの発展には欠かせない人物だ。パリの地元にNIKEと一緒に美しいコートをつくり、その目の前にはバスケットボール専門のセレクトショップを開いた。彼は今でも時間があればプレーし、子供たちをコーチし、毎日NBAを観る。今回イタリアのブランド”Missoni(ミッソーニ)”とのコラボレーションコレクションのために来日した彼に、ブランドのこと、そして愛するバスケのことを大いに語ってもらった。
ーひさしぶりだね。ALLDAY以来かな。ALLDAYには何回くらい来てる?
「ALLDAYは3〜4回くらい来てて、一度はBOBBITOと同じチームでプレーしたよ」
ーまずPIGALLEをはじめた経緯を話してもらえるかな
「まず、僕は6歳から17歳までPSGというパリで一番のクラブチームでプレーしていたんだ。その頃毎年夏にストリートでプレーするためにNYに行っていたよ。でも、プロになるだけの能力が自分にはないと感じていて、17、8歳くらいのときからファッションに興味を持ちだしたんだ。それからは中学生のバスケットボールチームのコーチを始めたんだ。7年間やって一度はパリで優勝もしたよ。そして、PIGALLEをはじめたのは25歳のとき。スポーツとファッション、僕は常に両方の角度を持ってきた。スポーツやストリートの世界とファッションの世界。人に理解されないことも少なくない。これをやっているのに、どうしてあれもやるんだ?と。このカルチャーをやるなら、そこだけにいた方がいい、とね。ただ、僕にとっては2つをミックスするというのはごく自然なことなんだ。2008年にパリのストリートコートのリノベーションを僕らでやって、オープニングにはレブロン・ジェームズも来てくれたんだ。その数年後、そのコートの前にバスケットボールアイテムを取り揃えたセレクトショップをオープンしたんだ」
ーコーチは今もやってるの? 映像を見たよ。
「2年前からまたやっているよ。今回はコーチするということだけじゃなくて、僕が生まれ育ったエリアの子どもたちを育てたいんだよ。彼らが将来僕のビジネスを引き継いでくれるはずだよ。今年の夏に彼らを日本に連れてきたいと思ってるんだ。ピックアップゲームをしたり、日本のバスケコミュニティと触れたりね」
ー今まで何回くらい日本に来てるの?
「35回だよ。いつも空港で、多いなって言われるよ」
ー初めて来たときはどういうきっかけだったの?
「正直に言うと、毎年夏にNYに行っていたけど、ミスしてしまって入国できなくなってしまっていたんだ。僕は大都市のバイブスが好きだし、新しいカルチャーを知りたいといつも思っていたから、日本に来たんだ。2005年4月のことだね。まず最初にコートを探したよ。それが人と知り合うベストな方法だからね。1ヶ月の滞在中、毎日代々木公園のコートに通ってたよ」
ーYOYOGIをNYのRUCKERのように、ストリートボールの聖地にしたくて、ALLDAYが始まったんだ。
「YOYOGIは有名だよね。海外のボーラーも東京にきて天気がよければ代々木がベストだと思ってるよ。今回も仕事しなくてよければ1時間でもプレーしに行きたいくらいだよ。時差ボケを治すのにちょうどいいんだ。この前もHOOPS FACTORYでQUAI54のHAMADOUN(毎年夏にパリで開催されている世界最高峰のストリートボールトーナメントQUAI54の生みの親)とプレーしてたんだ。そのコートはパリの郊外にあってインドアで4面あるんだ」
ーまさに日本でもそういう場所が必要だよね。YOYOGIは冬場は寒いし。アメリカとかはフィットネスクラブにもコートがあったりするから24時間プレーできる。アメリカにいたときは夜中の3時に一人で練習してたりしてたよ。ラジカセ持っていってね(笑)。
「最高だね。”Best B-Ball Life”だ。すごくよくわかるよ。僕の唯一の心配事は、年々プレーするのが簡単じゃなくなってきてるってことなんだよ。体の回復に時間かかるんだ。1日プレーしたら2日休んでる。もう歳だよ。歳を重ねて一番イヤなのはそこだね。仲間と外でバスケして、家に帰って、お酒飲みながら試合を観て…それが最高のライフだ。(女性スタッフに向かって)ごめんね、男はそういうのが好きなんだ(笑)。」
ーところで、好きな日本のブランドは?
「バスケのブランドだとballaholicかな。彼らがどんなことをやってるか、パリにいてもチェックしてる」
ーあのブランドをやってるのはボーラーだって知ってた? Tanaわかる?
「Tana Wizard!」
ーイエス!今回のMISSONIとのコレクションのきっかけはどんな感じだったのかな?
「長年MISSONIのMEN’Sのデザイナーを知っていて、去年の夏に会ったときになんか一緒にやりたいねという話になったんだ。そこで、スポーツ志向の提案をしたんだ。実はMISSONIの創業者オッタビオ・ミッソーニは陸上のオリンピック選手で、すごく『スポーツ・ガイ』だったんだ。彼の色彩へのこだわりやユニークなビジネスのアプローチが、僕のビジョンとすごく似ているんだ。だから、彼の娘で現在のオーナー、アンジェラ・ミッソーニと会ったときにもすぐ意気投合したんだよ。ジッパーが付きの着脱が簡単な陸上用ジャージを、最初にイタリアに持ってきたのもオッタビオだったんだ。彼のジャンパーは動きやすいように大きめに快適につくられているんだよ。だから、今回のコレクションにもスポーツ的な感覚を取り入れている。オッタビオの存在が僕の大きなインスピレーションになった。もちろん、スポーツ的な感覚とは、僕にとってはバスケットボールなんだ。だって、それが僕の原点だからね」
ーバスケするときはどこのシューズを履いてるの?
「もちろんNIKEと一緒につくった自分のシューズだね。アウトドアでプレーするときはAir Raid。OGスタイルが好きなんだ。インドアのときはレブロンが履きやすいね。あと、最近ジョギング用のトラックスーツをはいてプレーしてるんだ。暖かくして汗をかきたいからね。ショーツじゃないとタフにプレーしないと思われるけどね。2日前にもQUAI54のボーラーたちとプレーしたけど、最初はパスが回ってこなかったんだ。でも最終的には得点しまくったよ。バスケしてから仕事に戻ったりするから僕が着るものはミックスされているんだ。人生でいつもそうだった。もちろんTシャツは新しいのに替えるけど、他はミックスされたスタイルなんだ。それが僕のファッションにもインスピレーションを与えてるよ。例えばトラックスーツのパンツとロングジャケットを合わせたりとかね。
ーところで、フランスのバスケはどんなプロセスで成長していったのかな。
「それはカルチャーのこと?それとも競技レベルとして?」
ー両方だね。繋がっていると思うんだ。日本では今年Bリーグが始まって良くなる兆しがあるけど、まだまだ人気スポーツとはいえない。でも、例えばこの『FLY Magazine』はバスケットボールカルチャーマガジンとしてファッションの角度もあるし、もちろん競技としてのバスケもカバーしてる。両面からバスケを発展させようとしてる。ステファンとしては、競技としてのバスケとカルチャーとしてのバスケ、両方をやってきて、フランスのバスケがどんなふうに成長していったと思うかを知りたいんだ。日本にとってすごく参考になると思うから。
「なるほど。いい質問だね。きっかけはいくつかあったと思う。まず1991年にレイカーズがプレーシーズンゲームをパリでやったんだ。マジック・ジョンソンも来たんだ。そして1992年のバルセロナオリンピックでのマイケル・ジョーダンとドリームチーム。この時期にバスケのプロモーションが増えていって、1992年にNIKEがパリのバスケットボールシーンに投資しだしたんだ。スパイク・リーのAir Raidのコマーシャルを覚えているかい? NIKEはパリ郊外の治安が悪いエリアにあんな感じの綺麗なコートをつくったんだ。NIKEはフランスのバスケに大きな貢献を及ぼしたと思っている。他にもイベントをやったり、マイケル・ジューダンを呼んだりね。90年代に育った僕らにとってはすごく影響を受けたよ。あとはテレビで週1回NBAの放映をやってたり。パリにはインドアコートがたくさんあったのもよかったな。小さないろいろなことの積み重ねだったと思うよ。90年代にフランスで育ったトニー・パーカーやボリス・ディアウが出てきて、まだカルチャーが発展してるね。日本にとっては東京オリンピックがきっかけになるかもね。NIKEはALLDAYをサポートしてるけど、まだまだ足りないと思う。90年代当時NIKEフランスのトップだった人は彼自身バスケが大好きだった。だからいろんなクールなことを実現できたんだ」
ーすごく興味深い話をありがとう。 特に草の根、ストリートは、本当に大事だよね。日本ではまだストリートボールと競技が別物として捉えられている部分があるからね。ストリートではタフにスコアしていくというバスケの大事な部分を学ぶことができるし、競技としてのレベルアップにつながっていくと僕は思っているから、フランスと同じようにNIKEが代々木にコートを寄贈してからALLDAYというトーナメントが12年も続いてることは、大きな意味があると思ってるんだ。昔は大きなアメリカ人選手からブロックされることを恐れて逃げていた選手も多かったけど、今はみんな怖がらずにゴールに向かっていって決める術を身につけてるし。
「そうだね。日本人はみんな礼儀正しいけど、コートに入ったらガンガンいかないとね。代々木でも日本人はたまにシャイすぎるな、と思うこともあったよ。でも最近はアメリカ人に対してもはっきりと自己主張する子たちが増えてきて、すごく良いと思った。僕も何度も喧嘩しそうになったよ。代々木で一番トラッシュが激しかったのは…ボビーだっけ?」
ーボビーは亡くなったよ。
「本当に…? いつ?」
ー昨年10月。
「彼は個性の塊だったよ。彼にはむかついたこともたくさんあったけど、でも憎めないというか。彼が代々木にいたのは良かったよ。代々木のコートが必要としていたものを持ってきてくれてたと思う。スピリットをね。活気があったよ」
ー思ったことをはっきり言うっていうのは日本人も必要なことだよね。特に海外では。
「間違いないね。 日本のバスケは成長してると感じるし、誰か一人でいいからNBAでインパクトを与えられる日本人選手が出てくると変わると思う」
ー今、ゴンザガでプレーしている日本人選手がいるんだよ。彼はまだ1年生。あと同じくディビジョンIのジョージワシントンでプレーしている選手もいるよ。
「期待したいね!」
【右】ステファン・アシュプール(Stéphane Ashpool)
フランスのファッションブランド”Pigalle”のデザイナーであり、クリエイティブ集団”PPP”のメンバー。2008年にパリにセレクトショップをオープン、2010年にオリジナルブランドPigalleをスタート。バスケットボールにインスパイアされたPigalle Basketballや、NIKEとの様々なコラボレーションを手がけるなどファッションとバスケットボールの両世界を繋ぐ存在であり、日本にもファンが多い。
【左】池田 二郎(Jiro Ikeda)
高校卒業後に渡米し、1998年にカリフォルニア州ジュニアカレッジ準優勝。 大学からストリートまで全米中でバスケを経験し、2001年に帰国。引退後はイベント、店舗プロデュース、アーティストマネージメントなど主に音楽とスポーツに関連した業務を多数手がける。代々木公園の5on5ストリートボールトーナメント“ALLDAY”では創設メンバーの一人として競技面を統括。株式会社FACTRY.jp代表取締役