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  • 2023.08.30

沖縄バスケの未来――地元生れのYUTA、KOTARO、YAMATOが語った思いとは

adidas Basketballのアパレルコレクション「adidas BASKETBALL THE 2023 COLLECTION: CHAPTER 03」には、原点回帰の思いを込めたコンセプトの下、バスケの原体験や家族・コミュニティへの感謝や愛を伝えるストーリーが流れている。今回そのテーマで、いまバスケットボールが熱い“沖縄”生まれのストリートボーラーであるYUTA(仲宗根悠太)、バスケットボールスクールの代表兼コーチを務めるKOTARO(満島光太郎)、老舗プロショップに勤めるYAMATO(與那嶺倭)に迫った。3人が明かした生い立ちと現在、そして沖縄バスケの未来とは――

家族に感謝……ストリートボーラーYUTA
 YUTAとバスケの出会いは、小学3年生のころ。地元のミニバスに入る友だちを見て仮入団し、1年後から本格的にはじまった。同時期にYouTubeを通じてストリートボールを知った衝撃も大きく、画面の向こうのボーラーたちが繰り出すドリブルを目の当たりにして大興奮したそうだ。

小学5年生でミニバスの全国大会に初出場。パンフレットを見て、どの選手よりも「一番小さかった(笑)」とYUTAは思い出す。地元の中学校を経て、県下の強豪校である興南高校へ進学しても、その状況は同じ。身長はいまと変わらない161㎝だったという。

 それでも、YUTAはギラついていた。小さな体でどんなプレーができるのかを考えつつ、「先生から怒られもしましたが、ドリブルで相手を倒すスタイルは絶対に変えなかった」とYUTAは振り返る。さらに、高校時代、バスケ部の練習に訪れる地元出身のプロバスケットボール選手の存在も励みになった。YUTAは一緒にプレーする機会こそ無かったそうだが、憧れの選手のプレーを見ては真似をして、自分のものにしようと取り組んだ。

 大人になったYUTAは現在、ライフガードの仕事をやりながら、ストリートボーラーとしてバスケに打ち込む。繫忙期の最近は、朝8半から夜8時まで勤務し、そのままチーム練習などへ駆けつける。土日ともなれストリートボールの大会に出場したり、アラハビーチのピックアップゲームに行くという。昔から「沖縄では一緒に1回でもバスケをしたら友だちみたいな関係がすぐに出来る」そうで、YUTAはバスケをやる場所も仲間にもほとんど困らない。

 ただ年齢を重ねると、結婚や子どもが生まれるなど生活に変化もあった。YUTAは家族の理解があってバスケが続けられる状況にありがたみを感じている。

「妻もバスケ経験者なので、僕がバスケをするリズムを分かってくれていると思います。バスケに『行っても良いよ』と言ってくれるので、本当に感謝しています。でも、最近は『お家のこともやってね』と言われています(笑)。バスケ以外の部分もちゃんとやらないといけないと、考えが変わってきたのも確かですね」

子どもと地元の支えを感じるKOTARO
 KOTAROは、生れた頃からバスケットボールが身近にあった。両親は中学校で体育教師とバスケ指導者を務め、兄貴も姉貴もバスケをやっていたほど。「体育館で育った感じなんです」と、本人は言う。小学5年生で野球からバスケへ転向し、地元の中学校から興南高校へ進学。YUTAの3つ上の先輩にあたる。

 全国レベルの環境は、彼のやる気に火をつける。「高校の時に、もっとバスケを頑張ろうという気持ちになった」と振り返る。朝早くから体育館に行き、帰宅は夜10時すぎ。とにかく熱中していた。大学も関東の強豪・拓殖大学へ進む。

 しかし、卒業後はプロバスケットボール選手としてライジングゼファーフクオカ(2016-18)、東京サンレーヴスでプレーしたが、2018-19シーズン途中にコートから去った。「バスケが嫌になって、一旦離れたんです」と明かしたが、自宅でBリーグやNBAを見ている自分がいた。「めっちゃバスケに触れていましたね(笑)」と、バスケが心底嫌いになったわけではなかったのだ。

 知人を通じて3x3を知り、「沖縄でチームを作りたい」と一念発起して帰郷。戻った矢先にコロナ禍が始まって心が折れそうになったが、自分を見つめ直す機会になった。将来を考えた末にKOTAROは、代表兼コーチを務めるSPICE(スパイス)というバスケットボールスクールを立ち上げた。「僕は、子どもとバスケが好き。沖縄でスクール事業の可能性も感じました」と、前に進みはじめる。最初の1年程度は「ほぼ給料ゼロ」と苦労もあったが、最初に開校した名護校の子どもたちを思えば、それも耐えられた。

「今まで高い壁が見えたら、頑張りきれない自分がいました。プロの世界もそうです。人や環境のせいにしていたと思うんですよ。でも、自分でスクールを始めると、子どもたちがいる。上手くなって欲しいし良い環境を作りたいと思うと、僕が辞めるわけにはいきませんでした。沖縄で自分を見つめ直せて、踏ん張れたと思います」

 コロナ禍の制限が少しずつ解除されると、KOTAROは3x3のイベントを開催。これを機にSPICEが知られるようになり、いまでは4校のスクールと、今年から立ち上げたU15のクラブチームによって、100名を超える規模にまでなってきたという。KOTAROは「地元の色々な方々と連携を取りながら、皆さんに助けてもらっています」と、多くの支援を得られるコミュニティの存在に感謝で一杯だ。

「お客さん」のためにお店に立つYAMATO
 そのKOTAROをサポートする老舗プロショップ「ステップバイステップ」で働くYAMATOも、沖縄のバスケシーンで生きる一人だ。バスケにハマるきっかけは、76ersファンの母親がNBAを勧めてきた小学生時代にさかのぼる。自宅が普天間基地の近くだったため、「米軍の電波をキャッチして、地上波でNBAが見れる」環境も手伝った。2008年に北京で開催された男子バスケットボール決勝のアメリカvsスペイン戦は、鮮明な記憶だ。

 中学生になると、バスケ部で本格的にプレーを始めたYAMATO。試合にはなかなか出られなかったそうだが、振り返ると人生の転機だったという。彼は「つるんでいた友だちが変わりました。僕、グレかけていたんです(笑)。でもバスケットボールが、自分と人生を正しい方向に導いてくれた仲間たちをつないでくれました。だから、いまもバスケに恩返しできればと思っています」と語った。

 高校進学後は部活に入らなかったが、沖縄のバスケ文化がYAMATOをコートにひきつける。近所の公園にリングがあるのが当たり前で「バスケをやる環境がすごい備わっている」と明かす。人が集まればピックアップゲームが始まり、隙間を見計らってシューティングをやる子どもが現れるなど、使い方も馴染んでいる。

「沖縄ではバスケが誰にとっても身近です。その文化があるから、キングスさんの活躍でみんなが盛り上がり、バスケットボール王国という呼ばれ方をするのだと思います。いろんなところにプレー環境があって、みんなが楽しんできた歴史があるから、バスケに熱いカルチャーが育まれていると感じています」

 YAMATOは、現在お店で働いて9年がたつ。IT系の専門学校時代にはバスケ以外の企業に内定が決まっていたそうだが、学内で偶然にもステップバイステップの求人票を見つけた縁で、急きょ進路を変更し、いまに至る。YAMATOにとって、店頭に立ち続ける原動力は「お客さん」。コロナ禍の経験が、その思いを強くした。

「お客さんがパタっと来なくなったときに、それでも来店してくれる常連さんが多くて、僕はめちゃめちゃ助かりました。会いに来てくれるお客さんの存在は、今もお店に立つモチベーションですし、お客さんのために仕事を頑張りたいと思っています」

3人の思い描く沖縄バスケの未来
 沖縄で育ち、様々な経験をしてきた3人。そんな地元は今年、大きな注目を集めている。今年5月、キングスがB.LEAGUE 2022-23シーズンを初制覇し、ホームの沖縄アリーナの観客動員数は2年連続でリーグ最多を記録。日本、フィリピン、インドネシア共催によるバスケットボールの祭典も開幕し、沖縄ラウンドで熱戦が続く。彼らもこの状況を感じ、沖縄バスケの未来を思い描く。

 お店に立つYAMATOは、キングスの優勝やワールドカップによって「沖縄におけるバスケットボールのマーケットがまだまだ大きくなる」と感じている。その拡大によって、バスケのジャンルが細分化される予感を持っており、「競技バスケだけではなく、ストリートボールやエンジョイバスケをやるシーンも成長していくと思う」と話した。
 さらに、5号級の売上が伸びている背景を受けて、バスケをはじめる子どもたちが増えていると実感している。いま活躍する沖縄のスター選手たちを見た世代が、次の沖縄を沸かす選手になる。そんな将来に期待感を持ち、YAMATOは「子どもたちをサポートしていきたい」と意気込んだ。

 一方で、YUTAはバスケの盛り上がりを感じる中で「ストリートボールなど他のカテゴリーは、まだまだ認知されてない」と、率直な思いを明かす。「沖縄のストリートボールで、YUTAが一番と周囲が言うぐらい上にあがりたい」という野望を持つが、それはストリートボールを沖縄に広めたいという気持ちが根底にあるから。彼は、「公園でも高い熱量でバスケが続けられる未来があったらいいなと思っています。僕も頑張りたいですし、バスケはいろんなジャンルがあるので、子どもたちには何かしらバスケをやり続けて欲しいですね」と思いを語った。

 また、KOTAROはコーチとして、子どもたちの成長につながる環境や刺激を与えていきたいと考える中で、このタイミングだからこそ沖縄バスケの歴史を振り返る大切さを説いた。古きを知り新しきを知る。この夏は、始まりになる。
「改めて沖縄バスケの歴史に、僕は“感謝”を持たないといけないと感じています。ステップバイステップの屋嘉(謙呉)社長もよく話されていますが、『誰が作ってきたかではなく、昔からたくさんの手によって歴史が築き上げられて、いまがある』。僕もまだまだですけど、これをみんなで理解していきたいですよね。その上で、いま沖縄では地元の子どもたちも色んな方と交流する機会があると思うので、目で見て、肌で感じて欲しいです。良い体験することが、新たな沖縄のバスケがはじまるきっかけになると、僕は信じています」

adidas BASKETBALL THE 2023 COLLECTION: CHAPTER 03
 そんな沖縄への思いを語ってくれた3人は今回、adidas Basketballのアパレルコレクション「adidas BASKETBALL THE 2023 COLLECTION: CHAPTER 03」のモデルを務めた。CHAPTERシリーズの最新コレクションで、「品質」「デザイン」「シルエット」などにこだわり抜いたアイテムになっている。

 同シリーズはバスケットボールをプレーする、その情熱の原点へ回帰する「REMEMBER THE WHY」をテーマにしたコレクション。自身の原動力となる「WHY」を思い出すきっかけになって欲しいという思いが込められている。その第三弾となる今作には、自分の原体験を思い出し、家族やコミュニティへ感謝や愛を伝えようというストーリーが流れている。

 コレクションについて、お店で数々のブランドを手に取ってきたYAMATOは、「ノースリーブスウェットと、Tシャツを組み合わせて2枚重ねができるし、アイテムのシルエットが綺麗ですね」と語った。加えて、パルスオリーブのカラーに注目して「このような色使いは、なかなかスポーツアパレルで扱うのは難しいけど、しっかり商品に落とし込んでいるのが印象的です。僕が着ているカラーも白ではなくアイボリー(=タルク)なので、良いなと感じました」と話した。

 そしてYUTAは、数あるコレクションの中で一番「ショーツ」が自分にフィットしたそうだ。「太ももが太いのですが、気にならないです。流行のショートワイドなシルエットが良いですね」と、気に入った様子だった。

 さらに、KOTAROも「素材感やシルエットなど、こだわりを実感できる着心地です」と、コレクションの印象を語った。彼自身、自らアパレルなどを手掛けているだけに、商品を通して作り手の思いを敏感に感じることがある。今回adidasのアパレルに対して、イメージが一新したようだ。「コレクションを見たとき、とても良いなと思いました。実際に着てみてもすごく良いし、パーカーやタンクトップなど普段から着ていきたいですね」と、声を弾ませた。

 CHAPTER 03を是非、一度チェックしてみてはいかがだろうか。

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