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  • 2021.03.14

3.11から10年目を迎えた当事者の思い vol.4 仙台89ERS社長 志村雄彦

    2021年3月11日で東日本大震災から10年がたった。未曽有の災害があった中、これまで被災を経験された方は前を向き、また復興へ多くの方が尽力をされてきた。そこで今回バスケットボールの視点で4人へ焦点を当て、その生き方や取り組みについて話をうかがい、当事者の思いをここへ残したい。最終回のvol.4 はBリーグの仙台89ERSで社長を務める志村雄彦氏である(取材日2月24日)。

    故郷と深く結ばれた男が10年を振り返って
    宮城県仙台市で生まれた志村雄彦氏はこの町でバスケットボールを始め、高校時代は仙台高校でウインターカップ連覇(1999年、2000年)を達成。進学した慶應義塾大学、その後の東芝(現川崎ブレイブサンダース)を経て25歳の2008-09シーズンに仙台89ERS(当時bjリーグ)へ入団した。以来、2017-18シーズンに34歳で現役を引退するまでナイナーズ(仙台89ERSの愛称)一筋でポイントガードとして活躍し、キャプテンも務めるなど卓越したリーダーシップを発揮した。身長は160センチとバスケットボール選手としては小柄だが、ルーズボールにも果敢に飛び込むなどコートで見せたエナジーあふれるプレーは印象深い。引退後はゼネラルマネージャーとしてフロント入りすると、2020年7月より社長に就任し、クラブを率いる立場になった。

    そんな故郷と深く結ばれた志村氏は選手時代の2010-2011シーズンに東日本大震災を経験する。「価値観が壊れてしまいました」と表現するほどの出来事であったが、この震災をきっかけに立場は変わりながらも地元に対して何ができるか常に向き合ってきた。この10年間を次のように振り返る。

    「生まれも育ちも仙台です。ナイナーズで活動してきてチームや地域への思い入れが強いのですが、そう感じるようになったきっかけは東日本大震災の影響が非常に大きいです。改めて地域に対して自分がどう貢献をしていくのか向き合ってきました。震災が起きてから10年間で選手時代はプレーをすることが、その一つでした。引退後はフロント側に立ち、今は代表という立場でチームをけん引し、クラブを支えていくことが地域に対する恩返しだと思って活動をしています。僕らはバスケットボールを通じて、仙台と宮城の豊かな街づくりをしていくことを一つミッションとして掲げて、叶えるために取り組んでいます」

    地元のためにプレーする使命感が芽生えるまで
    もっとも震災が起きる前から故郷への愛着はあった。「プロキャリアの中で地元でプレーできることは、なかなか無いことだと思います。だから自分は本当に幸せな経験ができたと感じました」と話す。一方でプレーする動機は「自分を満たすもの」という側面が大きかったという。誰かのためにというよりかは、自分のためにバスケットボールをする意識のほうが強かったのである。

    しかし3.11でバスケットボールに向き合う姿勢が大きく変化した。変わり果てた地元、活動休止になったチームを前にして「震災で失われた故郷に対してどう生きるのか」と、自分がプレーを続けるかどうかも含めて悩んだ末に、新たな動機が芽生えたのである。

    「自分だけではなくて、復興に向かう町や人々のためにプレーすることで、被災地域の方々が一歩を踏み出す力になったり、バスケをしている僕を見ている瞬間だけでも楽しい気持ちを感じて欲しかったです。それが作り出せることがスポーツの喜びだと思いました」

    2010-11シーズンは残りのシーズン、琉球ゴールデンキングスへレンタル移籍。仙台89ERSを表現する「89」の背番号を背負ってプレーした。そしてチームはわずか半年足らずで奇跡の復活を遂げ、志村氏はカメイアリーナ仙台で迎えた2011-12シーズンの開幕戦に立った。その試合は「僕のキャリアの中でも大きな瞬間のひとつ」だったと明かす。当時を思い出す言葉からは“使命感”を強く感じさせた。

    「会場には本当に多くのお客様に入っていただいて、この瞬間のために僕はバスケットボールを続ける選択をしたと感じました。もちろん来てくださったお客様にはご家族を亡くされた方や避難所で暮らす方、本当はこの試合に行きたかったけど行けなかった方もいらっしゃったと思います。そういう方々のために僕たち生かされている身としては、コートに立ち続けなければいけないなと思いました」

    「地域」と「未来」へ向けた『NINERS HOOP』
    このように選手時代に抱いた使命感は、現在のフロントへ回った立場でも強く背負っている。特に震災から節目となる10年目の2020-21シーズンは「地域」と「未来」をキーワードに2つをバスケットボールでつなぐ『NINERS HOOP』(ナイナーズフープ)というプロジェクトを新たにはじめている。志村氏はこの背景を「改めてこの10年間の感謝を地域の皆さんに伝えていきながら、ナイナーズを10年、20年、30年先へつなげていけるようにもう一度、宮城へ(活動の)種をまいて、未来を担う子どもたちを支援していきたい」と説明している。

    プロジェクトには複数のプログラムがある中で、今シーズンの柱は宮城県全域を対象とした『HOOP TOUR』である。ホームタウンの仙台市を含めた7市町村(名取、塩竈、白石、加美、登米、南三陸、仙台)で公式戦を開催した。コロナ禍のためBリーグの感染対策ガイドラインに沿い、初めて興行を行った土地もあって準備に苦労もあったというが、無事に開くことができて見えたこともあった。

    「改めて仙台市以外の子どもたちと出会う機会を作ることができて、素晴らしいと感じています。コロナ禍の中で 子どもたちはバスケの大会が無かったり、夏休みに地元のお祭りで遊ぶような経験もできなかったと聞いています。僕らは(昨年)10月から12月の間に集中して開催をしてきましたが、町によっては2020年になって初めて開かれたイベントというところもあって、皆さんにとても喜んでいただくことができました」

    さらに『HOOP TOUR』以外にも、子どもたちに対しては県内の小学校にナイナーズと支援企業のロゴが入ったバスケットボールの寄贈や、『イエロープロジェクト』という花を植える取り組みも実施。今春のプレーオフ時期に向けて昨秋、ゼビオアリーナ仙台前の花壇にナイナーズイエローのチューリップの球根を子どもたちと植え、今月10日には仙台市内で津波被害の大きかった荒浜地区(同市若林区)にある震災遺構・荒浜小学校で植樹活動をしている。現在、同地区は災害危険区域に指定され人が住むことはできない。防風林、防砂林が町に植えられている状況だという。そんな町を訪れた人や故郷に帰ってきた人たちが、金木犀の花や香りに癒され、どこかで金木犀を見たときに荒浜を想って欲しいという願いを込めている。

    イベント前夜の余震で改めて感じたチームの役割
    また2月14日にはゼビオアリーナでトップチームと同じ会場演出の下、ほぼ同じデザインのユニフォームで子どもたちが試合を行う『NINERS HOOP GAME』もセット。とりわけ本イベントは被災地で活動しているチームであることを今一度、意識する機会になった。イベント前夜の13日、東日本大震災の余震と言われる大きな地震が発生し、ゼビオアリーナがある太白区でも震度5弱を記録。対戦相手が宿泊していた施設でトラブルが起こり、選手のコンディション維持に影響を及ぼした理由からナイナーズの公式戦は中止となった。そんな中で、イベントを開催するか否かの決断も迫られたのである。「難しい選択ではありましたが、コロナ禍で大会が無くなった中、参加を楽しみにしている子どもたちの存在がありましたし、震災があった中でもこの10年間、僕らはなんとか活動してきました。そういった気持ちをつなぐためにも、安全確保をもちろんした上で、開催する姿勢を見せたかったです」とチームが活動してきた意義を思い返しながら、現場スタッフと協議の末に実施へ踏み切ったという。
    イベントでは試合の他に、Bリーグが行う社会貢献活動『B.HOPE』と連携したDEFENSE ACTIONも組み込んだ。これはバスケットボールの動きを取り入れながら、楽しく防災減災を学ぶことを目的としたプログラムである。10年が経過し、風化の懸念や震災を知らない子どもたちが増える中で、チームが率先して震災の経験を伝え続ける役割も改めて感じている。

    「前夜、地震があったからこそ(3.11という事実が)現実的になったと思います。僕らがやらなければいけないことは震災からの10年をこの先の未来に伝えていくことです。あの時に命を生かされている者としてしっかりと次の世代へ伝えていくことが僕らの役目だと思います。今後も僕らはリーグと一緒に活動を続け、クラブと地域の皆さんをつなげていきたいと思います」

    10年目を迎えた今週3月11日には荒浜地区で震災発生時刻の14:46に選手、チームスタッフ、フロントスタッフ全員で黙祷を行った。そして夕方には仙台プロスポーツネットのサポートのもと、在仙の東北楽天ゴールデンイーグルス、ベガルタ仙台とキャンドルを灯すイベントを共催。犠牲者の冥福を祈るとともに、新たな一歩を踏み出している。

    故郷のために動き続ける新たな原動力
    『NINERS HOOP』は今回の取り組みをきっかけに今後も発展させていくという。3月5日には国内のバスケットボールクラブとして初めて、クラブトークン型ファンディングを開始した。クラブトークンとは欧州の大手プロスポーツチームを中心に幅広く活用されている新しいファンサービス・クラブ応援ツールで、ファンはクラブトークンの購入金額に応じてクラブの実施するプロジェクトに参加できたり、特典を受け取ることができる。今回はプロジェクトの第一として『NINERS HOOP GAME』をサポートできる企画へ参加できる仕組みになっている。また既に始めているバスケットボールの寄贈活動から発展させて「宮城県内や仙台市内にバスケットボールリングも設置したい」と志村氏は青写真を描く。実現に向けたハードルはあるが、いま少しずつ動き出している。

    さらに志村氏はナイナーズを通して企業と地域をつなげ、町の人々に還元できることがあればバスケットボールという枠にとどまらず、社会貢献活動を模索していく考えだ。従来のチーム運営でよく見る「スポンサーについていただき、チケット収入がある」という軸だけでなく「企業とチームが手を取り合い、地域に対して何かできることを作っていく」ことで、3者が交わる「仙台、宮城の豊かな街づくり」の実現を目指している。

    以上のように、志村氏は故郷のために役割や立場を変えながら、強い思いを持って10年間を走ってきた。そしてこれからも使命感を持って変わらずに続けていく。ただ、社長になって変わったこともあったと最後に教えてくれた。その言葉は試行錯誤をしながらも、新たなやりがいとなり、動き続ける原動力になっている。

    「選手時代は自分のパフォーマンスを上げることが一番でした。でもフロント側に立場が変わるといかに職員や選手にパフォーマンスを上げてもらうかということを意識するようになりました。そのために自分の思いを伝えることや、職員のパフォーマンスを最大限にいかすものを作っていくことが必要であり、非常に難しいです。だからこそ『自分がやってやったぞ』という達成感よりも、誰かが自分の思いをもっと大きくしてもらったときの方が嬉しいですね。その幸せは今の方が充実しています」

    3.11から10年目を迎えた当事者の思い vol.4 仙台89ERS社長 志村雄彦

    TEXT by Hiroyuki Ohashi



    写真提供:仙台89ERS

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