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  • 2026.03.25

40歳から世界へ。ストリートの礎を作った男たちが再び集まり、シニアバスケを盛り上げる「SECOND HALF」プロジェクトを始動

40歳を超えて、世界を目指す男たちがいる。発起人は、ストリートの礎となった3on3プロリーグLEGEND(レジェンド)の初代王者ATSUSHIだ。同リーグのプロデューサーを務めた秋葉直之氏に相談し、5人制と3人制のプロ選手として活躍したYOSKも合流。「SECOND HALF」(セカンドハーフ)と題して、2027年に関西で開催されるワールドマスターズゲームズを目指す。3人がシニアバスケを盛り上げる取り組みを、笑いと本音を交えながら明かした(取材日:2026年3月9日)。

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3人の出会い。当時YOSKは「パチンコ屋でバイト」

──3人は、2005年から5年間開催された3on3プロリーグ「LEGEND」をともに作った間柄だと思います。最初の出会いは、どんなきっかけだったのでしょうか。

秋葉 ATSUSHI(伊藤淳史)とは2003年ごろにFAR EAST BALLERSを通じて出会いました。初期メンバーがATSUSHIとAJ(柴山英士)、佐々木クリス、Cohey(青木康平)あたりだったかな。

ATSUSHI 僕は1997年に高校を卒業してから4年半ほどアメリカの大学にチャレンジしていたんです。2003年に帰国して、日本でストリートボールのチームを作るのでジョインしないかと、AJに声を掛けてもらったんですよ。

秋葉 僕は渋谷にあるKOMPOSITION(コンポジション)というNPO法人にいて、FAR EAST BALLERSが同じ事務所に間借りするような時代があったんです。2004年にナイキジャパンが渋谷にジョーダンコートを寄贈するとき、一緒にイベントをやることもありました。

──YOSKさんとは、その後に出会ったんですか?

秋葉 YOSK(齊藤洋介)は少し後ですね。2005年にALLDAYとLEGENDをスタートするわけですが、YOSKはLEGENDに入るのが2007年の途中だっけ?

YOSK LEGENDのシーズン5なので、確か2007年の後半です。でも、僕が秋葉さんと初めて会ったのはその少し前で、ALLDAYのオールスターゲームが初回開催されたときに、声を掛けてもらったんです。LEGENDボーラーやbjリーグのプロ選手ばかりの中、一般人はほぼいなかったと思います(笑)。

秋葉 そのときのYOSKはいくつ?何してたんだっけ?

YOSK 23歳です。パチンコ屋でバイトしてました(笑)。

ATSUSHI へえーーー!!

秋葉 すごい人生だな(笑)。

YOSK 19歳で大学を辞めて、町田のカラオケ屋でバイトして、地元で防水工事の会社で働き始めたのが、20歳の途中ぐらい。でも仕事ができなさ過ぎて、オレ、バスケしかできないと改めて思って、21歳で両親にバスケでもう一度プロを目指したいと謝ったんです。

秋葉 YOSKは勇というチームでALLDAYに出て、FAR EAST BALLERSを倒して、翌年にALLDAYオールスターに選ばれたんだっけ?

YOSK そうです。

秋葉 そこからLEGENDを知ってトライアウトを受けて、シーズン5から参戦?

YOSK そうです。そうです。BADBOYSというチームで神奈川で試合に出たとき、相手がTEAM-SでまだボーラーだったMAMUSHIさんから「上手いじゃん。LEGENDどう?」と声を掛けてもらって。ただ、その声掛けも最初は別の選手だったんですが、TEAM-SのSHINPEIさんが「オレはこっち(=YOSK)のほうが良いよ」と言ってくれたんですよね。

秋葉 それで、LEGENDはシーズン9の途中までやって、bjリーグに行くんだよね。

YOSK プロ最初のシーズンは、栃木ブレックスの下部チーム(TGI・Dライズ)にトライアウトで入ったんです。ただ、東日本大震災があってシーズンが終わってしまい、その後bjリーグのトライアウトを受けて、信州ブレイブウォリアーズへ移籍しました。2011年から2018年まで、途中1年だけ横浜(ビー・コルセアーズ)に移籍しましたが、6年やって5人制は引退し、3×3へ転向したんです。

秋葉 転向が2018年か。だからYOSKがプロに行ってる時は、全然会っていなかったんです。その後、3×3に転向してから拠点が東京に近くなったり、映画『THE FIRST SLAM DUNK』に僕が携わるタイミングで、モーションアクター役をYOSKにお願いするなどしてから、距離がもう一度縮まっていた感じはします。

そして、SECOND HALFはATSUSHIが起点になるよね。


あの引退後…「自分が背中で見せようと思って」(ATSUSHI)

── ATSUSHIさんはLEGENDが1度だけ復活した2015年のグランドチャンピオンシップで引退試合もされました。改めてバスケでもう一度挑戦しようと思ったきっかけ、SECOND HALFの始動の経緯を教えていただけますか。
ATSUSHI 引退試合をしたな……。

秋葉 試合後、コート上で息子を抱っこしてたよね。

ATSUSHI LEGENDにはすごく感謝しています。僕は、バスケットボールっていう概念が舞台だと思っているし、うまい下手はあるけど、バスケットボールはそれ以上に何か訴えるものがあるんだろうなということを学べました。
ただ引退後、体は動くけど、明確な目標がない時期があったときに、息子や今の嫁が成長したり生きたりしていく過程で、自分が支える方法として言葉を掛けるよりも、自分の行動で示したいと思ったのが、今につながるきっかけなんです。

秋葉 それが5年ぐらい前から始めたシニアバスケ?

ATSUSHI そう。息子がバレーボールをやっていて、「日本一は無理だよ」という言葉を聞いた瞬間に、親としてはそう思ってほしくないと感じたんです。人が成長する上で、一緒に歩けるものがあれば良いなと思って、自分が背中で見せようと思って、40歳を超えてシニアのバスケで日本一を目指し始めました。
最初の2年ぐらいで全国2位まで行って、紆余曲折しながら日本一も獲って、もう終わりかなと思ったら、今度は世界の舞台があると分かってきました。2027年に関西でワールドマスターズゲームズがあると聞いたとき、これだと思って去年、秋葉さんに連絡を入れたんです。俺が日本一を獲った年に、高校の恩師が亡くなって、闘病中に僕のYouTubeを見てくれていて「日本一を獲っても続けてほしい」と言ってくれたのも、動機としてはあります。
LEGENDが始まってから20年が経つタイミングで、YOSKも40歳になって、同じようにシニアバスケで新しいチャレンジをしようとしていました。僕が発起人で、YOSKを誘ったけど、みんなでSECOND HALFを作っていきたいと思っています。

秋葉 元々シニアの日本一をATSUSHIが目指していると話は聞いていたんですけど、そのときはピンと来なくて。でも、LEGENDが始まって20年が経ち、ちょうど別件で長崎でシニアバスケの大会を見る機会があったのですが、全然盛り上がっていなかったんです。
仮エースやダークロ、SHIGEOといったLEGENDに出てくれたボーラーもいたんですけど、パッとせず、会場にいるのは参加者とその身内だけ。お客さんを呼ぼうとしている大会では無いから当然ではあったけど、ちょっとなー、と。
そんな光景を見て、20年経ってSOMECITYやALLDAYのレベルがすごく高くなったからこそ、年齢を重ねればそこに出てこなくなって2度目の引退があると意識したんです。ただ、一方でATSUSHIやYOSKからはほぼ同じ時期に、シニアバスケをやろうと思っているという話を聞いて。要は、情熱ですよね。2005年にLEGENDを立ち上げた感覚に近いものを感じて。
盛り上がってない、誰もやらない、これしかないっていうやつです。

ATSUSHI うまい三拍子だ(笑)。

秋葉 そう!今もLEGENDの復活を望む声をたまに聞くけど、SOMECITYや3×3が盛り上がって毎週どこかで試合があるから、役割を終えたと思っています。たくさんあると、目の前の大会に注がれる熱量がどうしても減るじゃないですか。
LEGENDの大きな魅力は「熱量」であって、人生をかけて大の大人がバスケで勝っても負けても、泣いたりとか喧嘩したりとかしているのが、お客さんを惹きつけたと思っています。20年前に「バスケを辞めなくていいスポーツにしたい」と思ってLEGENDやALLDAYを始めたけど、一周回って今度は40〜50代のシニア層に対して、同じことをしなきゃいけないと思いました。。


「本当にシニアなの?と思わせられるものを」(YOSK)

──YOSKさんもシニアバスケをする百日草(ジニア)を去年、立ち上げましたが、動くタイミングが同じだったんですね。

YOSK そうなんです。補足していいですか。2027年の世界大会の情報を流したのは俺なんです。39歳のときに秋葉さんに電話して、3×3をやめて40歳から自分のチームを作ってシニアで世界一を目指す活動をYouTubeで発信しながらやりたいので、一緒に何かできませんかと話をしたんです。そしたら──

秋葉 ちょっと待ってと(笑)。まさに俺たちが同じことをいま動こうとしてるから、折り返すと言ったよね。

YOSK えー、そうなの!?と思いました(笑)。

ATSUSHI 本当にタイミングが一緒だったよね。

YOSK だから、国内の大会は俺の「百日草」というチームで出て、世界は「SECOND HALF」でという形になっています。

秋葉 ほぼ同時だったね。

──SECOND HALFは、今後、どう動いていくのですか。

秋葉 端的に言うとマーケティングチームです。俺らが世界チャンピオンを獲るというゴールよりは、2027年のワールドマスターズゲームズを迎える頃にシニアバスケ全体がものすごく盛り上がっている状態を作りたい。そのための2年間限定のプロジェクトです。LEGENDと一緒で、太く、短くやります。

YOSK FIBAも、オーバー40のシニア枠の世界大会を2026年にギリシャで主催することを発表しているんですよね。

秋葉 世界的に人口モデルが逆三角形だから、40代以上のバスケ人口がボリュームゾーンになってきているのかもしれない。日本でも、bjリーグやBリーグで創世期からやってきた世代がほぼ40代に突入しています。そういう人たちがシニアバスケを面白そうだと思って入ってきてくれれば、全体が活性化していくと期待しています。

YOSK でも正直、普通のおじさんたちがバスケをやっても駄目だと思うんですよ。

ATSUSHI そうだよね。

YOSK この人たち、本当にシニアなの?と思わせられるものを魅せたいと思っています。


「40代から50代がバスケを辞めない文化を根づかせたい」(秋葉)

秋葉 YOSKが、シニアバスケをやる理由は何だっけ?

YOSK 今の日本のバスケ界で、ミニバスのコーチは40代の親御さんたちがボランティアで、子どもたちにバスケを教えている状況がほとんどです。ですが、小学校6年間の大事な年代を担当するにも関わらず、バスケをよく知らない親御さんがいたり、昔のバスケから考え方からアップデートされていないことも多いです。これは、子どもたちにとってもったいない。
でも、シニアバスケが盛り上がることで、バスケをちゃんと理解、経験した40代が増えていって、結果として子どもたちに良いコーチができて、成長に繋がっていくと思うんです。

秋葉 地域に質の高い指導ができる人が残って、バスケ全体が底上げされるイメージね。

YOSK はい。これは裏テーマです。盛り上がっているシニアを親御さんが経験することによって、レベルの高さを吸収して、その経験を子どもたちに落とし込んでほしいです。

秋葉 だから本当に、40代から50代がバスケを辞めない文化を根づかせたいよね。むかし18歳で9割以上がバスケを辞めてしまうと言われていて、俺らはストリートでその流れを少しでも変えたいと思ってやってきたけど、月日がたったら40代、50代で再び辞めてしまうのが分かった。バスケが続けられるように土台を作ってきた第1世代として「40代でもこれだけできる」と示すことで、ミニバスから50歳まで、バスケが生涯スポーツと呼べるようになれば最高だと思っています。20年前の40代の方は、いまと比べれば全然違うじゃん。

YOSK 絶対負けないと思ってました!

ATSUSHI そうだよね!

秋葉 でもこの20年で、40代が全然おじさんじゃなくなってる。そういう意味でも、俺らの世代がやっていきたいと思っています。


【プロフィール】

秋葉直之
渋谷にあるNPO法人KOMPOSITIONの専務理事として、2002年より活動をスタート。その後、ナイキジャパンへ転職。2005年に3on3プロリーグLEGENDや、代々木公園で開催している5on5ストリートボールトーナメントALLDAYも立ち上げた。現在は株式会社ブーマーにてマーケティングプランニングやプロデュースを行うほか、一般社団法人ピックアッププレイグラウンドの代表理事を兼務している。


ATSUSHI a.k.a WILDSPEED|伊藤淳史
1997年に高校を卒業後、アメリカの大学へバスケ挑戦。2003年に帰国後、プロストリートボールクルー・FAR EAST BALLERS入り。2005年に3on3プロリーグLEGEND初代王者に輝く。2015年に1度だけ復活したLEGENDで引退試合をするも、その後競技復帰。2024年度全日本社会人O-40バスケットボール選手権大会で優勝。SECOND HALFの発起人としてマスターズゲームズ2027関西の出場を目指す。


YOSK a.k.a チャラ男な天才|齊藤洋介
大学中退後バスケから離れるも、2007年にトライアウトを経てLEGENDに参戦。2010年にトライアウトを経て、TGI・Dライズ(JBL2)入りしてプロ選手に。2011年に信州ブレイブウォリアーズ(bjリーグ)へ移籍。プロ7季のうち6季を信州で過ごし、2018年に3×3へ転向。UTSUNOMIYA BREX.EXEに所属し、3×3日本代表に選出。2025年に区切りをつけて百日草を立ち上げ、シニアバスケへ舞台を移した。

40歳から世界へ。ストリートの礎を作った男たちが再び集まり、シニアバスケを盛り上げる「SECOND HALF」プロジェクトを始動

TEXT by Hiroyuki Ohashi
PHOTO by Rintaro Akimoto

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