「あの時、僕らは90年代の熱狂を駆け抜けた」NBA・Rakuten WINDY CITY BLUES プロローグ
あの頃から始まったストーリーは、まだ終わっていない。
あの頃、僕たちは何を求めていたのだろうか。
実体のないバブル景気を誰もが体感し始めた1988年、円高の影響で多くの輸入品が日本に上陸した。初めて目にする新しいヒト、モノ、コトは、やがて新しい文化を生み出していく。放送局は莫大な広告売り上げを叩き出し、トレンディドラマには潤沢な制作予算が割り当てられた。そこに描かれた生活は当然のように華やかで、それを観た人々が憧れる、の繰り返し。あの時代を全力で駆け抜けた人たちはとにかく刺激に飢えていて、まだ見ぬ何かを常に探していたのかもしれない。
当時、日本はアメリカが生み出したあらゆるカルチャーに憧れを抱いていた。それがいよいよ手に届きそうな気がしていた。ちょうどNBAがアメリカの枠を超えて、世界戦略を目論み始めた時、僕たちは時代の活況のおかげで、それを受け入れる準備が十分に整っていた。というより、前のめりに手を広げて待っていたのかもしれない。そうして僕たちは既に全米のスターダムを駆け上がっていたマイケル・ジョーダンと出会う。まだ一部のバスケットボール好きのためだけに放映されていたNBAの試合は、現地でいつ行われたのかさえわからないもので、かつ深夜枠の録画放送でしかなかった。それが本格的な衛星放送が始まり、高画質でマイケル・ジョーダンというスターとチームメイト、個性的なライバルたちによる、激しく美しいプレイを大きな時差なく観ることができた。僕たちはいつしかNBAを取り巻くすべてに取り憑かれ、情熱を注ぎ、その対価として夢のようなドラマを享受していた。振り返ればあの頃のNBAは、一人のプレイヤーを主役に据えた台本が、向こう10年まで最初から出来上がっていたかのようだった。
NBA・Rakuten WINDY CITY BLUESより引用 → 続きはこちらより
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