「雑誌とYouTube、時代とともに発展したメディアの役割とは」NBA・Rakuten WINDY CITY BLUES MEDIA 90年代
90年代、僕たちは『Boon』などの雑誌を通してNBAの選手と取り巻くカルチャーを複合的に体感し、大きな渦を作り出していった。
ヒーローの定義とは「傑出した能力を活かして超人的な活躍をする主人公」である。そして物語では、ヒーローの活躍を阻止しようと企むアンチヒーローの存在が、ストーリーを盛り上げる。1990年代当時、1970〜80年代生まれの団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代の若者たちは、NBAに興味を抱きはじめた時からマイケル・ジョーダンという主人公によるサクセスストーリーを、無意識に作り上げていたのではないか。変幻自在のムーブと超人的なジャンプ力を備えたヒーローの周りには、華やかで個性的なチームメイト―相棒のスコッティ・ピッペンやお騒がせリバウンド王のデニス・ロッドマン―がいた。
そんな主人公の前には、次から次へと強敵が現れた。挙げればきりがないほど、キャラクターの宝庫だった。もちろん専門的な視点を持ったファンが人気の土台を支え、若年層だった筆者を含めた大多数の“にわか”ファンは、こうした関係図でNBAの虜になっていったのではないか。バスケットボールの専門誌や少しずつ増えてきたテレビ放送といったメディアにもそうした偏りを感じるほど、ジョーダンがいたシカゴ・ブルズは絶対的な存在だった。それが1992年のバルセロナ五輪では協力し合い、世界最高の称号を奪い返すためにアメリカ代表として同じチームで戦うという筋書きのないドラマに、誰が興奮しなかったのだろうか。
NBA・Rakuten WINDY CITY BLUESより引用 → 続きはこちらより
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