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  • 2024.11.01

岡田大河20歳の現在地…ASモナコ U21から見える世界

15歳でスペインへ渡った岡田大河も20歳になった。海外挑戦の過程で、昨年はU19日本代表に選出され、同年秋にはフランス1部リーグ所属のASモナコU21へ移籍。チームの過去最高成績を残すとともに、ユーロリーグにも参戦するトップチームを間近で感じた。パリ五輪で男子日本代表に対して、ビックショットを決めたマシュー・ストラゼルも、その一人だ。ヨーロッパで道を切り開く、若き司令塔に話を訊いた(取材日:8月13日)。

モナコへ移籍…「身近に素晴らしいお手本がいる」
―― モナコの街は、どんな雰囲気ですか。公用語もフランス語ですよね?

「安全な国なので治安がすごく良いです。海外へ行くと治安の心配もありますが、モナコは全然ないですね。言葉はフランス語がメインですが、コーチが英語で喋ってくれるので、チームのみんなとも英語です。フランス語はスペイン語に比べると、全く勉強してないですね(笑)」

―― 試合会場は、どんな様子なんですか?

「そもそもモナコは観光地なんです。街に住んでいる人が少ないので、ユーロリーグで有名なレアル(・マドリード)や(FC)バルセロナのトップチームが対戦相手として来たときは、会場にたくさんの人が集まります。ただ、U21の試合のときは家族や友人、近所にいるような方が来るぐらいのこじんまりした感じです。遠征先によっても違いますね」

―― そんなモナコU21へ昨夏、スペインから移籍されました。何が決め手だったんですか。

「昨年のU19ワールドカップ期間中に移籍が決まりました。僕が今までいたチームは、トップチームが1部や2部にいたわけでなく、若いチームでしたが、モナコはトップチームがユーロリーグに所属しています。その下部チームに入れるチャンスはなかなか無いんですよね。U21でやれれば身近に素晴らしいお手本がいる環境に身を置けるので、そこが一番の決め手になりました」

―― もともと移籍を考えていたんですね。

「移籍を前提に考えていました。スペインの3部や、トップチームが1部や2部に所属しているチームを探していたので、タイミングよくお話をいただきました」

―― モナコU21は、フランスリーグの中でどんな位置づけで活動しているのですか。

「1部リーグに所属しているトップチームが試合をするとき、お互いのU21も同じ会場で試合をするようにスケジュールが組まれています。トップチームと練習は別ですが、毎週のように試合先で一緒になりますし、遠征先も同じす。元NBA選手や各国の代表選手が間近に感じられますし、U21も代表クラスの子がいて、ゲームの強度も高いですね」

―― 去年、モナコのトップチームには元NBA選手のケンバ・ウォーカーやフランス代表のマシュー・ストラゼル、エリー・オコボがいましたね。

「そうですね。去年、僕はトップチームの練習に行くチャンスをつかめなくて、シーズン最終戦の前にあった確認の場に少し行ったぐらいです。ですが、短い時間でも質の高さを感じました。試合でユーロリーグのチームを見るだけでも、NBAと違ったレベルの高さを感じています」

―― その質の高さは具体的にどの場面で感じますか。

「ひとつ一つのプレーに対してのこだわりです。5対0の練習でも変なミスがなくて、細かいところまで徹底的にやっています。それが実際の試合でも見られるので、プロ選手は絶対に頭を使ってプレーしなければならないと感じました」

心身ともに「フランスに行って変われました」
―― U21の1シーズ目はレギュラーシーズンで14連勝し、一時4連敗しましたけど、24勝10敗の2位でフィニッシュ。プレーオフで準優勝しました。個人スタッツでもアシストはチームトップの成績でしたが、どう総括していますか。

「シーズン序盤、同じポジションにフランス代表の選手がいたので、最初の5試合程度はプレータイムが20分にも届かず、自分もチームの役割にアジャストできなかったんです。でもその後、スタートに起用されてプレータイムがのびた結果、得点やアシストでチームの役割にアジャストできました。

シーズン中盤でチームに貢献できるようになってから、勝ち切る試合も増えました。自分のパフォーマンス次第でチームが勝てる姿をチームメイトにも、コーチ陣にもアピールできたと思います。

4連敗した時期はケガ人が重なって、その状況でチームをコントロールする難しさがありました。毎試合のように接戦が続いたので、ガードのところで試合を決め切れない、自分の詰めの甘さもあったと思います。それでも1シーズン通して振り返れば、フィジカル、メンタルともにフランスに行って変われました。その甲斐もあって、自分の力を毎試合出せるようになってきたと思います」

―― シーズン中盤から、ほとんどの試合でアシストはチームトップ。ダブルダブルを記録した試合もありました。

「ヘッドコーチに信頼してもらったのは、大きかったです。自分がどんどんやって良い時間帯を勝ち取っていけました。

また、チームメイトにとても点を取れる選手がいて、その子をコントロールするのも自分の仕事でした。メインプレイヤーの子にメイクさせる時間帯や、自分で周りを活かす時間帯など、その都度状況を考えながらやって、チームが勝てるようになった。これも良い結果を出せた要因の一つだと思います」

―― その得点源は、モハメド、アミット選手ですか?アディダスのユーロキャンプにも参加されていました。

「そうです。イラン出身の子で、昨年のワールドカップにも出ています。昨年2月のBWB(Basketball Without Borders)グローバルで会っていたのですが、彼は英語があまり喋れなかったので話ができなかったんですよね。でも、チームに合流して最初の練習で周りとレベルの違いがはっきりと分かるぐらい凄い選手でしたし、トップチームに呼ばれてもそん色なくプレーしていました。そういう選手から練習で刺激を得られるので、ありがたかったですし、一緒にやれて楽しかったです」

―― モナコU21の平均年齢は確か19歳でした。若いチームゆえにコントロールを意識することはありましたか。

「それは本当になくて、チームで決まったシステムがありました。フランスへ行く前は、スペインと違って能力重視、どちらかと言えばアメリカのスタイルと似たイメージを持っていましたが、僕らのチームはコーチが5人でプレーするバスケットにこだわりがありました。システムの下でパスがよく回るなど、チームでうまくやれていましたね」

―― フランス語のWEB記事を翻訳して読んだら、モナコU21は組織をテコ入れして臨んだシーズンで結果を出したという内容を見たんです。実際のところ、モナコの中でU21はどんな位置づけでしたか。

「僕が入る前のU21の最高成績は、5年以上前に1度だけプレーオフ進出(1部の上位7チームと、2部の1位による8チームで争われる)と聞いています。ただ、その時に1回も勝てずに終わって、以降はプレーオフに行けなかったそうです。だから、僕らがチームの歴代最多勝利数を挙げて、プレーオフ2位という成績を収めたので、コーチが“みんなが一番、良い結果を出したね”と言ってくれましたし、シーズン後もコーチングスタッフは機嫌が良かったです(笑)」

―― 逆にしんどかった経験はありますか?

「プレシーズンではゼロからのスタートで、チームからの扱いは厳しかったです。チームメイトはフレンドリーですが、コートに入るとアグレッシブなのでアジャストには苦労がありましたね。

でも、練習からチームにアピールして、コーチも合流前から僕のことを調べてくれて、どういうプレーヤーなのか理解しようとしてくれました。ゲームコントロールや得点が獲れる力を評価してくれて、役割を任せてくれたと思います」

パリで活躍した河村、マチュー、晶を見て思うこと
―― この夏、パリオリンピックで男子日本代表が、すごく良い試合を見せてくれました。岡田選手がU19代表でチームメイトだったジェイコブス晶選手も選ばれていましたね。同級生がオリンピック代表に選ばれて、どう見られていましたか。

「晶が選ばれたときは、嬉しかったです。韓国戦(=7月の強化試合)も有明アリーナで見ていましたが、晶がとても活躍していましたもんね。代表では選手それぞれに役割があります。それを全うしていく必要がある中で、彼は自分のプレースタイルを確立してやり切ったところがさすがだと思いました。ただ、また一緒にプレーするためには自分がもっとレベルアップしなきゃいけないとも感じています」

―― オリンピックで言えば、岡田選手と同じポイントガードは河村勇輝選手が務めました。どんな視点で見ていましたか。

「得点とアシストする場面の判断がすごく正確だと思いました。自信を持ってシュートも打っていて、プレッシャーのかかるシチュエーションでも強い気持ちでプレーしていましたよね。勝負どころの1対1も仕掛けていて、その積極性を持ってリングに向かう姿も含めて、本当に学ぶことが多いと思いました」

―― 日本とフランスの一戦では、モナコのトップチーム所属であるマチュー・ストラゼル選手が、終了間際にビックショットを決めていました。あれはどう見ていましたか。

「1シーズン見ていたぶん、あのようなシュートが入る選手だと分かっていました。モナコにはマイク・ジェームス選手というメインガードがいるのですが、その方もタフショットが得意でマチュー選手もそれをまねしているような印象でしたね。これまでもタフショットを打つ場面があって、恐らくフランス戦のショットも彼にとっては練習をしているショットのひとつだと思いますし、試合で何回も見ているシュートでした。ただ、オリンピックのあの場面で決めたので、さすがだなとも感じています」

―― モナコだと、あのショットは打つんですね。

「フランスリーグだと、結局は最後的に1対1の強さを求められます。その場面で決め切れれば、高いレベルでの生き残りにつながってくると思います。マチュー選手は若いのですが、決め切る力を備えているので、これからフランスで上がっていく選手だと思います」

結果を残した先に…「海外挑戦で上を目指して」
―― この秋からモナコU21で新シーズンが始まります。どんな意気込みでしょうか。

「まず、チームに貢献したいです。それができればチームの勝利にもつながります。去年からの選手は僕を含めて3人しか残らないため、新チームになります。自分の役割も変わるところがあると思いますが、もっと自分が勝負どころで試合を決める選手になりたいです」

―― そんな中でパリオリンピックも見て、モナコで2シーズン目を迎えて、そのさらに先はどんなロードマップを描いていますか。

「所属しているリーグで今シーズン、結果を出すのが一番大事です。その結果によって次につながってきます。アミット選手もU21で結果を出して、この秋からはフランス1部の別のチームでプレーします。目の前の練習にしっかりと取り組み、試合ではチームの勝利に貢献したいです」

―― その流れでうかがうと、モナコでの積み上げの先に、ユーロリーグのトップチームとの契約や、日本代表があると想像します。現時点でそれらとの距離感はどう感じていますか。河村選手が23歳、マチュー選手が22歳、ジェイコブス選手も20歳と、同世代がオリンピックで活躍しています。

「まず代表で言えば、自分がチームでどんな役割ができるか明確には分からないですし、現時点では距離が遠いと感じています。フランス代表のマチュー選手もモナコのトップチームで結果を出して、今回代表入りしています。その過程を見て、もっと自分は結果にこだわりたいですし、同世代の活躍は刺激になります。彼らが活躍できる姿を見ると、自分が活躍できない理由は無いと思っています」

―― 将来的には、岡田選手がユーロリーグのファイナルでやっている姿を期待したいですが、いま日本のバスケシーンも右肩上がりです。有明の試合をご覧になったように、バスケも1万人入ります。今後、海外挑戦を重ねた先に、キャリアの選択肢にB.LEAGUEは入ってきそうですか。

「バスケにこれだけの注目が集まっているのは、本当にすごいと思いますが、いまのところ(B.LEAGUEが選択肢になるか)全く分からないです。B.LEAGUEもレベルが高くなっているので、ポジションによっては日本人選手が残るのも、厳しくなっていると思います。モナコで頑張り、海外挑戦で上を目指していきたいと考えています」

そんなインタビューも最終盤になった頃。現場に居合わせた大河のお父さまである卓也氏より、コメントが寄せられた。彼は昨シーズン、トップチーム最終戦の試合前確認の場へ参加しただけでなく、出場選手として登録される予定だったという。だが、手続き上の都合のため、ベンチ入りが叶わなかったそうだ。それでも、大河はこの出来事を気にする様子もなく、頼もしい言葉で取材を締めくくった。

「自分に実力があれば、状況も変わったと思います。トップチームとU21でフォーメーションが似ているため、短い期間でもアジャストできますが、まだまだメインで呼ばれる立場にありません。それでも結果を出せば、トップチームにつながると思いますので、新シーズンこそはチャンスをつかみたいです」

■プロフィール | 岡田大河(Taiga Okada)
2004年生まれ。静岡県出身。静岡大学教育学部附属静岡小学校・中学校を卒業し、2019年秋に15歳でスペインへ。同国3部(EBA)に所属するZentro Basket Madridの下部組織入りした。2021年10月には同リーグに日本人最年少でプロデビュー。2023年はU19男子バスケットボール日本代表に選出されて、「FIBA U19 ワードカップ」で過去最高の8強進出に貢献。同年秋よりフランス1部のASモナコのU21チームでプレーしている。ポジションはポイントカード。身長172cm・体重60kg。IG @taiga_okada13 (リンクは外部リンク)

岡田大河20歳の現在地…ASモナコ U21から見える世界

TEXT by Hiroyuki Ohashi



PHOTO by Kasim Ericson

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