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  • 2020.09.21

3×3新大会『F1 Tournament』の主催者はボーラー、コロナ禍の中止を乗り越えて

バイトで部費を稼いで高校バスケは途中入部、その後は3×3なき時代に年間230試合を経験。生粋のボーラーキャリアを持つ、3×3の大会主催者(以下オーガナイザー)をご存知だろうか。Withコロナで難しい舵取りが迫られる中、いま国内シーンをけん引する一翼を担った彼へ話を訊いた。

新大会を開いた「ちゃん岡さん」のツール
「改めてバスケの現場は楽しいなと感じました。選手たちもみんな、キラキラしていた気がしますね」――3×3の国内ツアー大会『F1 Tournament』のKANAGAWA ROUNDを終えて、大会オーガナイザーである岡田慧氏はこう語った。新型コロナウイルス感染症の影響で3人制の公式戦は、今年2月の日本選手権を最後に無くなったが、9月12日にようやく復活。開催判断の難しい中、国内で2020シーズンの幕開けと言える大会を彼は動かした。会場では選手やスタッフから愛称である「ちゃん岡!」や「ちゃん岡さん」とひっきりなしに声がかかる。3×3でよく見る光景が戻った場面だった。

もともと彼はボーラーだ。進学した私立高校ではお金がかかるからという理由で、当初はバスケ部に入部しなかった。学校生活を送りつつ、バスケは千葉・柏の強豪クラブであり、勉族の前身となる柏リーブスへ。ただ部活は諦めたわけではなく、この間にバイトで部費を捻出。高校1年生の12月に東海大学浦安高校のバスケ部へ入った。「途中入部というケースは無かったけど、顧問の先生が僕のことを覚えてくれていました。“特別だぞ”と異例の入部を認めてくれたんです」と振り返る。そして卒業後は東海大学へ。体育会バスケ部には入らず、再び柏リーブスへ活動の場を求めた。「そのときに勉族ジュニアというチームをぬまさん(勉族の主宰・沼田泰朋さん)にお願いして、作らせていただきました。僕とYASUO(飯島康夫)の2人で、バスケの試合に年間で230試合ぐらい出ていましたね」と、全国を行脚。まだ3×3がない時代に圧倒的なゲーム数をこなしたことが数年後、面白い展開になるとはまだ知らずに…

オーガナイザーになった理由
3×3が「スリー・バイ・スリー」という呼称になった2013年。ちゃん岡はストリートでお馴染みの勉族でプレーをしていたが、徐々に裏方もやり始める。3×3日本選手権には2015年の第1回大会からスタッフとして入り、ローカルの小さな大会も企画・運営するなど3人制との関わりが積み重なるうちに、「どうせやるなら、より面白い大会をしたい」と思いが募った。これには自分が楽しみたいという気持ちに加えて、ボーラーだったからこそ感じたこともあった。「日本もプレーヤーが増えてきましたが、国内から世界に行ける機会が少ないと感じていました。世界と比べたらどうなのか分からないのですが、もっと身近に世界を目指せる大会があってもいいのかなと。気軽に誰でもエントリーができて、優勝したチームがさらに上を目指す。その方がみんな楽しいじゃないですか」。

そんな気持ちを抱いた彼に昨年、チャンスがやってくる。国際バスケットボール連盟(FIBA)の担当者と会う機会が訪れたのだ。「Satellite(3×3の国際大会につながる予選会)をやりたいと伝えると、最終的に“メールを送ってよ”と言われたんですよ。全然、英語ができないので、やり取りは大変でしたけどね(笑)」。こうして企画が進んで昨夏、UTSUNOMIYA BREX.EXEがツアー優勝、世界大会の切符を獲得した『3×3 O&M Satellite Games』が誕生。ちゃん岡と、九州でバスケ関連の事業を行うAll Court Crossingの松岡健太郎氏(以下マツケン)がタッグを組んでやりきった。日本バスケットボール協会(JBA)のJapan Tour、クロススポーツマーケティングの3×3.EXE PREMIERと3×3.EXE TOURNAMENTに続く、国内から世界へ続く待望の大会。内容も好評だったようで「その後もFIBAの会議に呼んでいただきました」と、オーガナイザーとして世界の舞台に足を踏み入れるまでになった。

コロナ禍でもめげない、彼は再び動いた
ひとつ実績を作ることができたちゃん岡。オリンピックイヤーに胸を膨らませる年を迎えたが、コロナ禍で東京大会が来夏へ延期されたように、彼も大きな影響を受けた。今春に準備していた2020年バージョンの『3×3 O&M Satellite Games』全6大会の中止だ。当時の心境について、言葉を選びながら次のように語った。「うーん……残念でした。でも大会をセットしたことを知る人は、関係者など限られた方だけでした。開催発表をリリースする前に中止を決めたので、ファンの皆さんを振り回すことはなかったので、それは良かったかなと思います」。大会までに要した時間や準備を想像すれば、自分でコントロールできないことだったとは言え、きっとショックも大きかっただろう。ただそんな気持ちは「うーん…残念でした」に圧縮して、ファンのことまで見えているあたり、現場大好きの彼らしいところだと感じた。

そして大会が吹っ飛んでも、彼はめげずに乗り越えようと動いた。もちろん昨今の状況を踏まえれば、スポーツイベントの実施は慎重にならざるを得ないところ。『F1 Tournament』もセットするかどうか、「正直、とても迷いました」と思い返す。でもバスケが日常にある姿をどうやったら、取り戻せるか。彼はマツケンと考えはじめた。「大会をやりたいという声はたくさん耳にするし、僕らも面白いことをやりたいと思っていました。できたらいいなというレベルからスタートして、マツケンがいる西日本エリアでも大会が許されるのであれば進めていこうと。JBAや各地の行政、会場となる施設が設定するコロナ対策のガイドラインに沿って、開催できるように準備することも無しではないと考えるようになりました。大変なこともありましたが、協力していただけるたくさんの方がいたおかげで、ツアーを開くことができました」。今大会のFINALは10月24日。それまでWithコロナで運営していくという、前例のない舵取りが求められる。会場の使用方法も変わり、出場選手たちの健康チェックやその後の連絡体制など、「やることは増えたけど、無観客試合なのでお客さんは増えない。今日もお客さんがいれば、絶対に面白かったな…」と苦笑いを浮かべながら本音も。そう思うのも無理はないが、このNEWトーナメントがあるおかげで、バスケが日常に戻ってきた。彼らの頑張りに応えられるよう、出場するボーラーは日々の生活から健康をキープしながら、ベストゲームを披露していきたい。

オリンピック、その先の3×3への思い
学生時代からバスケ一色のちゃん岡は、いま国内シーンをけん引する一翼を担う。来夏は東京オリンピックを迎える予定だ。同級生には奇しくもその代表候補選手である日本ランキング1位の落合知也、そして全国にはバスケでつながった仲間がたくさんいる。「若い時に僕らが飛び回っていた先々で3on3をやっていた方々が、都道府県協会で3×3に携わり、Japan Tourや3×3.EXE PREMIERに出場するチームの関係者や選手になっています。この業界は知っている人が多くて面白いです(笑)」。現場第一主義で培った縁は、日本のバスケットボール界を盛り上げる力になることは間違いない。

来るTOKYO 2020に向けては「選手がオリンピックにチャレンジできる、チャンスを広げることをしてきたいです。個人も国別ランキングも上げるためには、海外に出てナンボじゃないですか」と話す。ただコロナ禍で3x3の世界大会は日程や出場枠の設定などにイレギュラーなことも多く、国内外の情勢も海外渡航へ影響を与えるだろう。これまでに無い対応を余儀なくされ、上手くいかないことも予想されるだろうが、彼は世界へつながる環境作り突き進む。

そして来夏以降について、3x3との関わりを次のように語ってくれた。『F1 Tournament』はこのようなひたむきな思いを持ったオーガナイザーによって、最高の舞台がセットされている。

「3×3という競技は一生続くと思うんですよね。これを流行りモノのようにやめる気はないです。まず僕が楽しみたいという思いもあるし、そもそも現場は楽しいです。だって世界大会が懸かっているゲームで盛り上がらないゲームはないですよ。オーガナイザーだとそれを特等席で見られるじゃないですか。選手たちが予選でどれだけ苦労したとか、その日に向けてどれだけの準備をしてきたとか、一番近くで見ることができます。“最高のお客さん”でありたいですね」

3x3新大会『F1 Tournament』の主催者はボーラー、コロナ禍の中止を乗り越えて

TEXT by Hiroyuki Ohashi

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