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  • 2021.12.10

日本郵政 presents 『Real story behind 3×3』 vol.4 矢野良子(REXAKT/トヨタ自動車)

これは3人制バスケットボール、3x3(スリーエックススリー)に携わってきた人たちのストーリーである。このバスケは、2021年夏の東京オリンピックで世界的に注目を集めたが、その歴史は浅く、五輪の正式種目決定はわずか4年前の2017年だった。本連載では、日本で3x3を黎明期から支えた9人のこれまでと、これからの歩みや競技シーンに向けた思いを綴っていく。vol.4は、5人制から競技転向し、女子3x3をけん引する矢野良子氏にフォーカスした。

元オリンピアンが3x3に転向した理由
 矢野良子氏は、5人制女子日本代表として2004年のアテネ五輪に出場した元オリンピアンだ。日本屈指の3ポイントシューターとして活躍し、国内女子トップリーグの『Wリーグ』では、1997年のジャパンエナジー(現ENEOS)入団を皮切りに、富士通、トヨタ自動車でプレーした。一連のキャリアは20シーズンに及ぶ。
 そんな矢野氏は2017年に5人制から3x3へ転向。3人制はプレー経験こそ無いが、馴染みのあるバスケだった。個人参戦型のストリートボールリーグ『LEGEND』や、チーム参戦型のストリートボールリーグ『SOMECITY』といったストリートの雰囲気が好きでよく観戦に訪れ、3x3も日本選手権で3連覇を誇ったRBC東京で姉がコーチを務めていた縁で、試合を何度も見ていたほどだ。

 ただ、5人制の退路を断って3x3に懸けたからには理由があった。当時3年後の2020年に控える東京オリンピックを目指すためだ。アテネ五輪には出場したが10位に終わった不甲斐なさを抱き続け、39歳になる年齢を考えて、どこで自分の競技人生に終始符を打つのかを考える中で、このまま引退を迎える気持ちになれなかった。
 「オリンピックへ挑戦をしたかったんです。そうすれば、どんな結果になっても最後は気持ちが、すっきりすると思いました。2016年からチーム側に相談をはじめ、2017年の(東京オリンピック種目入り)正式決定を受けて転向を決めましたね。3人制に絞った理由は、3x3が日本に浸透していない中で5人制と両立できる競技では無いと考えました。中途半端になることが嫌だったんです」

再びの挑戦は選手にとどまらず
 もっとも、ここから矢野氏の挑戦は、選手だけをやっている場合ではなかった。転向直後に3x3のW杯に日本代表として出場したことで世界レベルを経験できた一方、課題と向き合った。3x3はプロテニスのように個人ランキング制が設けられ、選手は出場した試合のレベルに応じてポイントを得られるが、国内では肝心の試合がほとんど無かった。もちろん、本人は大会が無いことも分かって転向したため、オリンピックを見据えて競技環境の整備をあらゆる方面に訴えた。ポイント獲得のために一時はスポンサーを募り、海外遠征も計画したほどだ。

 しかし、その計画を検討していくうちに考えは変わった。海外遠征をするよりも、国内で競技人口を増やし、大会を開くほうがいいのではないかと。3x3では個人ランキングの上位100名(現在50名)が持つポイントの合計値が国別ランキングとなる仕組み。オリンピックの開催国枠決定には、国別ランキングが判断材料であった故に、自分のためだけに動いてはいられなかった。

「自分のポイント獲得のために海外へ行くよりも、国内で数多くの女子選手が大会でポイントを得たほうが、東京オリンピックの開催国枠獲得につながるのではないかと思いました。ただ、誰かの力を頼って試合開催を待つようでは、あと2年しかない私の競技人生は終わってしまう。だから、REXAKT(リザクト)のチーム運営をしながら、3W(トリプルダブル)という大会を立ち上げました」

リーグ運営に奔走した日々
 3Wは2018年秋に開幕し、翌年5月のFINALまで11大会を行った。矢野氏はREXAKTの選手として週末の試合に出る一方、大会運営にも奔走。平日は、所属先のトヨタ自動車など周囲のサポートを受けながら会場確保の打ち合わせや、スポンサー営業に行くこともあった。また、とんねるず・木梨憲武さんのラジオ番組に出演し、ご本人が応援に来るラッキーも呼び込んだ。
 さらに大会の意義は、女子3x3の普及にもあったことから、MCにはMAMUSHI、DJにはMIKOをキャスティングした。2人とも『LEGEND』や『SOMECITY』の経験を持つ。「音楽と競技が融合したエンタテイメント性」のある3x3の魅力を分かりやすく伝えるためには、2人の力が絶対に必要だったという。

 選手として、主催者として、チームオーナーとして、矢野氏は3x3にすべてを注いだ。

コートには立てなかったけれども……
 コロナ禍で1年延期となった2021年夏――東京オリンピックのコートに、矢野氏の姿はなかった。代表招集は2017年の一度限り。競技経験とポイントを求めて試合に出続け、2020年2月の日本選手権ではREXAKTで初優勝し、MVPも獲得したが、声はかからなかった。
 それでも矢野氏は立場を変えて、東京オリンピックに携わった。男子と女子の3x3日本代表の試合解説という大役を務めたのだ。オファーを引き受けた心境を次のように思い出した。

「選手としてオリンピックを目指していましたから、オファーはとても気をつかった内容でいただきました。最近の様子を教えてくださいというニュアンスで。でも、代表チームの動きを見れば、呼ばれることは無いと感じていました。一瞬、オファーを受けるか迷いましたけど、オリンピックに携われる機会は幸せなことです。今回の件は、これまで3x3を通して様々な方に出会う中で、つながった仕事でしたから、断る理由が無かったんです。本当にありがたい気持ちで引き受けさせていただきました」

 もちろん解説の準備は大変だった。日本のみならず、目にする機会の少ない海外選手のリサーチも重ねた。ペアを組んだ実況アナウンサー2人と打ち合わせも重ね、とりわけ新競技ゆえに「ルール説明」は正確に行うことを改めて意識した。「本当にアナウンサーの2人に助けられて、なんとかやりきることができました」と、矢野氏は話す。

 そして、残念ながらメダル獲得は男女ともに叶わなかったが、オリンピックをきっかけに3x3は一気に世の中の知るところになった。大会期間中にはTwitterで「バスケ3x3」「矢野さん」がキーワードとしてトレンド入り。コロナ禍のため無観客試合になったことで、日ごろバスケに触れない人々もテレビで見る環境が追い風になった。矢野氏は、オリンピック前に3x3を説明しても「知らない」という反応を受けていた時代を知るだけに、いまではSNSを含めて「3人制のバスケットボールは面白いですよね」という反応が嬉しく、変化の大きさを肌で感じている。

女子バスケ界のレジェンドが思うこと
 競技転向から今年で4年――東京オリンピックを終えたいま、矢野氏は、「選手たちへ活動の場を作っていきたい」という思いを強く持つ。女子バスケは国際大会で結果を残し、各カテゴリーで取り組みは盛ん。だからこそ3x3もさらに注目されるよう環境を整備したい気持ちだ。

 また、3Wの2019-2020シーズンはコロナ禍のため途中で中止。「やらないほうが私としても一番は楽です」と言いつつも、現場の選手たちから復活を望む声、「中途半端が嫌いなんです」という自分の性分としても、フェードアウトするつもりはない。
 加えて、最近では女子の高校生や大学生たちが、JAPAN TOURなど3x3の大会で活躍する姿に矢野氏は期待感が募っている。

「3人制の活動をする選手たちがどんどん出てくれば、競技の未来が明るくなります。ポイントを取る選手が増えれば、日本がオリンピックに出場する道が近くなるかもしれない。自分がオリンピックに出られなくても、そこに向かって何か頑張れますね。だから、若い子たちの活躍は、すごく楽しみです」

 女子バスケ界のレジェンド、矢野良子。自分のために始めた3x3は、いまでは後進のために取り組むバスケになった。過去の苦労を糧に、現在、未来の競技シーンのために、まだまだその挑戦に終わりはない。

日本郵政 presents 『Real story behind 3x3』 vol.4 矢野良子(REXAKT/トヨタ自動車)

TEXT by Hiroyuki Ohashi

https://www.japanpost.jp/3x3/

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