YOYOGI PARKと偉人たち
MAMUSHIです!「ストリートバスケットボールの聖地からはじまる新たなバスケットボールの未来」をつくる第一歩として、「聖地 代々木公園バスケットボールコートをみんなで改修したい。」というリノベーションプロジェクトのために、READYFORというプラットフォームにて7/15までのクラウドファンディングをスタートした我々でございます。ワタシもプロジェクト推進チームの一員としてこれまでいそいそと準備に励んでいたわけですが、まさかスタートからわずか50時間と40分で目標金額の1,000万円に到達するとは思っておりませんでした。ご支援いただいております皆さまにワタシからも感謝申し上げます。ありがとうございます!そして何よりも、代々木公園バスケットボールコートがこれほどまでに愛されていて、支持されていることをダイレクトに感じれて幸せな気持ちになりました。本当に素晴らしいパワーを秘めてますね、代々木って。
さて、今回ワタシからFLYに寄稿させていただきます散文は、代々木公園バスケットボールコートの生い立ちから今に至るまでの模様を眺めてきた自分の偏った視点と記憶を基に、「YOYOGI PARKと偉人たち」をテーマとして一本読み物を書かせていただこうと思います。偉人もさまざまですからね。それでは参りましょう!
まずはその生い立ちからのエピソードを。時は2002年、まだ代々木公園には体育館しかなくて常設の屋外コートなんて考えられなかった頃。毎週末に代々木公園の並木通りに自設リングを持ち込んではオープンコートを作り続けた放浪フープ旅団が居たんです。それがStreet Hoops Union、オリジナルのS.H.U。東京木場のバスケのドープスポットBALL TONGUEの主で地獄の料理人の異名を持つMUЯ氏や、ストリートボールリーグLEGENDの創設メンバーであり、今は宮崎のストリートボールシーンを推し進めようとしているDaichiくん、いつでも賑やかだったりゅうへいくんなどが当時の中心メンバー。このオープンコートはTeam-SやFAR EAST BALLERS、GYMRATSなどの面々が邂逅する機会にもなりました。そして翌年2003年、株式会社ナイキジャパンからバスケットボール”ゴール”が2基寄贈されたわけなのだけど、その際に公園の管理事務所から意見を求められ、利用モラルの啓蒙に貢献したのも彼らです。この当時の出来事の詳細やその苦労などがインタビューにまとめられた記事が2003年12月号のrelax(マガジンハウス発行)という雑誌に載ってるから、もし発見出来た人はどうぞ読んでみて下さい(BALL TONGUEに行けば実物を読めます)。
代々木公園にリングが建った!でも、床面は石畳のままだった(汗)。コートラインも引いてなかったし、今ほどにボーラーたちが大勢集まるようなコートではなかったんだけど(それでも気合いの入った根強い常連組は当時も居たよ)、2004年にAND1 MIXTAPE TOURが初めて日本で開催されるってときに、TEAM AND1の面々が代々木のフープに来ることになりまして。当時の自分はFAR EAST BALLERSの練習生小僧で、その日は確か平日の定例練習だったような。まぁ、練習切り上げてみんなで代々木に向かったらもう結構ギャラリーが集まってて、しばらく待ってたらTEAM AND1がワイワイぞろぞろと現れて大騒ぎ。お互いせっかくボーラーも居ますしねぇということで、TEAM AND1の若手だったThe Pharmacistと、当時のシーンで最注目の若手トリックスターだったTANA(今のballaholic主宰のTANAね)が1on1で対戦することになったりしてね。この模様はAND1 MIXTAPE TOUR “ASIA PACIFIC” というビデオ作品に収録されているので、DVDで発売されたんだけど今はAND1 BASKETBALLのオフィシャルYouTubeでフルビデオが観れます。あと、AND1関連のエピソードで言えば、TEAM AND1史上最高のフィニッシャーで、bjリーグでも大活躍だったJohn HumphreyことHelicopterが2012年春のALLDAYの予選にだけ突如現れて、いくつかのゲームをプレイしてスルーザレッグからのダンクを代々木でもお見舞いしてたこともありましたね(笑)。
2005年2月に今の形のフルコート2面になって、同年8月に今なお続くALLDAY 5ON5 BASKETBALL TOURNAMENTがスタート。2005年の10月に開催された第2回大会(FAR EAST BALLERSの練習生チーム、BOUNCEの一員として)と、2006年の3月に開催された第5回大会(Teram-Sの一員として)には、今や世界中から知られるバスケットボール・インフルエンサーで超高速ハンドルの持ち主、近年ではballaholic主催のビッグゲームで来日しては日本のファンの心を鷲掴みしてる人気者ことJoey Haywood a.k.a. KING HANDLESが、The NoticやYPA(YOUNG PLAYERS ASSOCIATION)の看板として名を馳せていた21歳の頃にいちストリートボーラーとしてALLDAYに参戦してるんです。まだ日本にガチレベルの中でムーヴを繰り出せるボーラーが本当に極わずかだったあの頃に、今観てもぶったまげるようなオリジナルムーヴを代々木で惜しみなく披露してくれてました。実はこの模様もDVDとして残っていて(さっきから雑誌やDVDと残っているメディアが前時代的で恐縮ですが)、2006年3月のALLDAYを中心としたドキュメント作品 STREET OF DREAMS ~J’s STREET BALL~というタイトルはイナたいですが一般に流通した映像として残ってます。KING HANDLESや当時スターだったボーラーたちのインタビューなど、結構盛りだくさんな情報が詰まってますよ。
さて。続いてのエピソードはこれまでの代々木公園バスケットボールコート史上、おそらく最も偉大な人物が訪れたときのお話です。2006年9月4日、当時28歳で同年に1試合81得点という偉業を成し遂げたばかりのNBAが誇る不動のスーパースター、あのKobe Bryantが来日し、“KOBE81 ASIA TOUR SUMMER 2006” というイベントのために実際に代々木公園バスケットボールコートに現れたのです。Kobe本人によるキッズクリニックや、佐々木クリス氏をMCとしたトークショーがあったり、FAR EAST BALLERSによるデモゲームをコートサイドで観戦したり。そして、今現在でもALLDAYが開催される度に登場するコートサイドの階段式観客スタンドは、このときにKobeから寄贈されたものなのです。実は同時に、2面ある代々木のコートの内、井の頭通り側のコートのNHKサイドのバックボードにKobeの直筆サインがマジックで書かれたのですが、それから養生などすることなく数々のボーラーによるバンクショットによって、今では視認できないほどに消えてしまいました。なんてことをしてしまったんだと悔やみながらも、まぁあの練習の鬼のようだったKobeだったら「ボーラーたちがたくさんバスケを楽しんだおかげでサインが消えてしまった!」って言えば笑って許してくれるような気もします。改めまして、Kobeあのときの感動をありがとう。階段式観客スタンド大事に使ってます。代々木にもあなたのようにハードワークしているボーラーで溢れてます。Rest in peace。
2007年5月5日にはNIKEのAIR FORCE 1の25周年記念キャンペーンとして、世界中のストリートボールシーンに多大な影響を与え続けるNYCのレジェンド、Bobbito Garciaの来日イベント “1LOVE presents BOBBITO in TOKYO 5.5 ALLDAY PLAYGROUND” が代々木公園バスケットボールコートで開催されました。目玉のコンテンツとしてNYC/TYO DREAM BATTLEというALLDAYからストリートのオールスター勢、bjリーグから現役のプロ選手たち、そしてスペシャルゲストのBobbito、さらに当日のオープンランを勝ち抜いていたパリボーラーでのちのPigalle主宰であるStephane Ashpoolも加わって、TEAM 1LOVE vs TEAM ALLDAYというオールスターゲームが用意されていて、ワタシの記憶が正しければ現役のプロ選手たちが代々木公園バスケットボールコートでしっかりプレイするのを初めて目撃できた機会だったと思います。今ではオフシーズンにストリートゲームで現役プロ選手たちのプレイを観ることができる機会も増えてきましたが、この当時では異例のゲームだったと記憶してます。10分の4Q制で、TEAM 1LOVE 74 × 77 TEAM ALLDAYという大接戦。ちなみにそのときのゲームの出場ボーラーたちは下記の通りです(所属チームは当時の情報になります)。
TEAM 1LOVE
#1 ST(―)
#2 Stephane Ashpool(Piggale/オープンランより選出)
#3 AJ(FAR EAST BALLERS)
#4 Bobbito Garcia(NYC)
#5 岩佐潤(GYMRATS)
#6 岡田卓也 a.k.a. Whooz.T(GYMRATS)
#7 仲西淳(bjリーグ:東京アパッチ)
#8 MATSU(FAR EAST BALLERS)
#9 牧ダレン聡(bjリーグ:東京アパッチ)
#10 波多野和也(bjリーグ:大阪エベッサ)
#11 KENTARO(ROCKERS)
#12 栗野譲(bjリーグ:東京アパッチ)
TEAM ALLDAY
#1 MASA(SUNDAY CREW)
#2 TANA (FAR EAST BALLERS)
#3 SHUN(オープンランより選出)
#4 K-TA(FAR EAST BALLERS)
#5 齊藤洋介(ISAMU)
#6 仮エース(勉族)
#7 JUN(Team-S)
#8 TAKU(Team-S)
#9 CHIHIRO(AT平塚Connections)
#10 Keith(SUNDAY CREW)
#11 DAVID(OKINAWA)
#12 Robinson(6FIGURE$/YOKOTA)
Bobbitoはのちに2008年にラッパーZEEBRA氏の20周年ライブ in 武道館のアフターパーティーに出演するために来日したときや、2012年12月にNYCのストリートボールやピックアップゲームを題材としてドキュメンタリー映画 “DOIN’ IT IN THE PARK: PICK-UP BASKETBALL, NYC” のキャンペーンのために、フランスのパリから共にこの映画を作製したKevin Couliau a.k.a. Asphalt Chroniclesを連れて来たりと何度も代々木公園バスケットボールコートに訪れてはピックアップゲームを楽しんでくれています。また、今やフランス・パリが誇るラグジュアリーストリートブランドであるPigalleを手掛け、世界中のストリートコートを見て回るStephane(Lebron Jamesが訪れるなど世界的に有名な美しい “PIGALLE BASKETBALL COURT” を作ったことでも知られる)も代々木の愛好家のひとりで、「YOYOGIは世界で最もアイコニックなコートのひとつだと思っている。ここは世界のバスケットボールカルチャーにとってとても大切な場所なんだ」と発信してくれています。
2018年8月14日には、NBAの大人気選手であるRussell Westbrook来日イベントして “RUSSELL WESTBROOK 2018 WHY NOT TOUR” が代々木公園バスケットボールコートにて開催されて、Russell本人によるキッズ向けのバスケットボールクリニック、また日本代表選手からALLDAYを代表するストリートボーラーたちに混じって5on5エキシビションゲームでは実際にプレイまで魅せてくれました。ド派手なボースハンドダンクで、頑丈な代々木のリングからネジが一本落ちてきたのは衝撃でしたね(笑)。「ストリートでプレイしていましたか?」という質問に、「That’s all I did(ひたすらやっていたよ)」と回答したRussell。おそらく近年で代々木公園バスケットボールコートに一番集客した一日で、2007年に初めて代々木公園バスケットボールコートでプロ選手とストリートボーラーが交わってゲームしたときからさらに進化した豪華な面々でのゲームが実現しました(こちらも記載の所属チームは当時の情報)。
ALLDAY ALLSTAR
TAKA(BLACKTOP)
OTO(BLACKTOP)
MARTELL(BLACKTOP)
長谷川智也(UNDERDOG)
KOJI(UNDERDOG)
CHIHIRO(平塚Connections)
Kyle(Sunday Crew)
Worth(TEAM Yokosuka)
Z-MO(Misawa Warriors)
TEAM WHY NOT?
田臥勇太(Bリーグ:栃木ブレックス)
富樫勇樹(Bリーグ:千葉ジェッツ)
岡本飛竜(Bリーグ:広島ドラゴンフライズ)
落合知也(Bリーグ:越谷アルファーズ)
古川孝敏(Bリーグ:琉球ゴールデンキングス)
アイラ・ブラウン(Bリーグ:琉球ゴールデンキングス)
竹内公輔(Bリーグ:栃木ブレックス)
直近のALLDAY SPRING 2022のコートサイドには、富樫勇樹選手やザック・バランスキー選手&石原愛子氏夫妻、シェーファーアヴィ幸樹選手らなど、日本を代表するトップランカーたちの姿もお見受けしてます。垣根なく遊びに来てくれるのは光栄なことです。また、未来の日本代表PGに期待がかかるテーブス海選手も代々木公園バスケットボールコートの常連で、ピックアップゲームでもALLDAYでも遺憾無くそのプレイを発揮してくれました。代々木ではなかったですが、あの馬場雄大選手が突如駒沢公園バスケットボールコートに現れて、ピックアップゲームを楽しんでいた模様もつい最近話題になったばかりですね。
音楽アーティストたちからも代々木公園バスケットボールコートは愛されていて、例えばNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのDABO氏による名曲 ”デッパツ進行” や、B.D.氏 / KEN-U氏 / SIMON氏によるストリートボールアンセム “TOKYO23” のMVはここで撮影されました。2019年のALLDAYで行われたNITRO MICROPHONE UNDERGROUND全メンバーによるライブセットは圧巻でしたね。また、YENTOWNの一員で飛ぶ鳥を落とす勢いで日本語ラップ界に席巻を巻き起こす男と評されるkZmも元々は代々木に通うストリートボーラーです。
そして最後に、代々木公園バスケットボールコートを支えてきたローカルの偉人たちを紹介させて下さい。上がればキリがないですが、それでも少しだけ。そもそもこのコートが誕生するためにさまざまな方々の尽力があったわけですが、中でも今回のリノベーションプロジェクトの推進チームの一員でもある秋葉直之氏 a.k.a. AKB、そして秋元凛太郎氏 a.k.a. RINTAROjapanは当時大きく寄与したお二人です。また、コートが誕生してからここにピックアップゲームの文化を根付かせてくれたのがSunday Crewのオリジナルメンバーたちでしょう。Soul a.k.a. OKIDOKIや今や白髭のRussは、ALLDAYのレジェンダリーなアンクルとして今でも若手のサポートをしてくれているし、当時の絶対的エースIsaac Sojournerは本当に無敵で、僕らのシーンのレベルをグッと引き上げてくれました。そしてBOBBY a.k.a. LOVE LIFE、今の代々木の若手ボーラーたちからも支持されている代々木のアイコンですね、Rest in paradise。今ではBoogie Bradshaw a.k.a. Saintが檄を飛ばしてくれています。代々木の自警団を買って出てくれた若かりし日の秦兄弟。代々木の妖精と呼ばれ、限界を迎えたリングがボードから落ちてきたときにすぐに対処してくれたJR。今現在ではYOYOGI PARK BALLERSやISOさんらが愛好してくれていて自治してくれています。
改めて書き出してみると、ここまでバリエーション豊富なボーラーたちがプレイしたコートというだけで十分貴重な場所のような気がします。現在では東京のスポーツシーン、そしてストリートカルチャーシーンの中でもダイバーシティ(多様性)を体現している場所として愛されている代々木公園バスケットボールコートです。ストリートボールを通じて様々な文化をバックグラウンドに持つ人たちが交流できて、オープンなコミュニティを育む機会としてこのまま在り続けて欲しいところですよね。NBAのスター選手たち(書き漏れたけどBradley Bealとかも代々木に来てる)も日本代表選手やBリーガーも、そしてローカルボーラーも垣根なく立てるコート、それがやっぱり代々木公園バスケットボールコートのすごいとこなんだと思います。そしてこれからも、表の偉人も裏の偉人も数々生まれることでしょうね。というわけで結局散文になりましたが、ワタシからは以上です。偉人も変人もやさしく激しく受け入れてくれる代々木公園バスケットボールコート、引き続き賑やかにやっていきまっしょい!
- YOYOGI PARKと偉人たち
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TEXT by MAMUSHI