• COLUMN
  • 2020.10.20

地方で活動する3×3チームのリアル、新潟・SANJO BEATERSの主将が感じる魅力や苦労

かつてインターハイで4度の全国制覇(※)を成し遂げた新潟県立三条高校。それから約半世紀以上が経った2019年に、同じ町から3人制バスケのチームが誕生した。全国に3×3のチームが広がっていく中で、新潟移住を決断したキャプテンへ、地方で競技に取り組むリアルを『F1 Tournament』のEest TOKYO ROUND(10/10)でうかがった。

農業とバスケを掛け合わせる
SANJO BEATERSは「半農半バスケ」をコンセプトに活動をしているチームだ。その名には、BEATを刻む音楽とバスケの融合、鋳物づくりが盛んな地域を表すような鉄ハンマーで叩き造形する鍛冶屋職人(BEATER)、そしてバスケの醍醐味であるBUZZER BEATERのように“最後まであきらめないプレー”を体現していく気持ちを込めている。

チームを運営するのは、ソーシャルファームさんじょうというNPO法人である。町づくりや地域活性化を目指して、農業と掛け合わせる取り組みを模索。これまで「半農半サッカー」や「半農半BMX」などを手掛けた末に、「半農半バスケ」としてBEATERSが生まれた。三条市と連携して地域おこし協力隊の制度を活用して人材を募集していることもユニークである。チームでキャプテンを務める松岡一成(#10)もその制度でやってきた。遠く茨城県牛久市から。

「プロになるため」移住した先での生活
松岡は現在30歳。一年半前に三条市へ移住した。理由は「バスケでプロになるため」だが、その過程は紆余曲折である。大学4年生のとき、当時のJBL2の数チームからオファーをもらったというが、一般企業に就職することを選んだ。あの時代、国内バスケは2リーグが対立し、先行きは明るくなかった。「将来を考えると不安に思うことが多かった」と思い返す。

ところが、2016年にB.LEAGUEが開幕。「高校の同級生らが活躍している姿を見ると、羨ましいと思っている自分がいました」と打ち明ける。さらに彼はその時、急性骨髄性白血病と闘病をしていた。過酷な治療を乗り越えて、「なにが一番したかったと思えば、やっぱりバスケだったんです」とコートに立ちたい気持ちが再燃する。その後、リハビリを経て実戦復帰。

2018-2019シーズンの3×3.EXE TOURNAMENTに出場したことをきっかけに、BEATERSから人生2度目のオファーが届いた。再就職を考えた時期でもあったが「もう一度プロに挑戦できるチャンスがある。ここで蹴ったら、また後悔すると思いました。だから今度はやってみようと、新潟移住を決断しました」

現在、BEATERSは彼を含めて4人が新潟を拠点として、関東在住の選手を含めて12名で活動している。全体練習をする場合は、チームが「24時間いつでも使える最高の環境」である廃校を利用した体育館へ集合。バスケに打ち込める施設が整っている。

また松岡は週2回の農作業やスクール、ファンクラブの運営、いまはコロナ禍で自粛傾向にはあるが地域への営業活動、加えて仲間のサポートなどオフコートでも役割が多い。「20歳前後の若い選手がいますので、選手以前に社会人として、仕事の進め方をフォローしています(笑)正直言って、去シーズンを過ごしたメンバーがいまは僕だけなので、7月ごろまでは忙しかったです。9月になって新潟から東京への往来自粛が解除されたことで、ようやく週末に試合ができるようなって、リズムが戻ってきた感覚ですね」と語る。苦労も少なくないが、彼はそれでも三条での選手生活に魅力を感じている。

「全国にチームはありますが、大半の選手は本業を持ちつつ、バスケをされていると思います。だけど、ここでは地域おこし協力隊という制度で、仕事そのものがほぼプロチームの運営です。営業やデスクワークをすることもありますが、常にバスケができる環境に身を置くことができます。選手として上達することはもちろんのこと、地域を盛り上げていくことに関われるなど、いろんなことをやっていきたいと思える場所になっています」

地方チームの悩みと自戒
一方で3×3が市民権を得て、競技として認知や注目を集めている状況は、東京を中心とした首都圏や関西、九州の一部地域に限られている。チームは全国に広がったが、地方での機運は高くない。

松岡も「チームの拠点から三条市の中心地まで車で30分かかります。知名度がゼロというわけでありませんが、バスケをやっている方にしか知られていない状況です」と、広がりが乏しいことを痛感している。また先に触れたようにチーム運営に携わる人手が限られていることも原因のひとつ。「4人で運営をしている状況で難しいこともありますね」と本音も口にした。

そして自戒を込めて、「東京のほうが競技レベルが高く、しっかりとゲームができる。他へ行けばいいのではないかと、思ってしまうこともあります」と話した。移動による交通費が負担ではあるものの、選手として真剣勝負ができる、強い相手と戦う場を求める気持ちは、当然のことだろう。

ただ、悲観的なことばかりではない。「僕たちが拠点を置く地域では、皆さんから憧憬される立場になってきました」と、結成2年目でチームが町に根付いてきた実感を持つ。スクールやチアキッズの活動によって、子どもたちから「バスケ選手だ!」と呼びかけられることが増えた。さらに学校の先生や親御さん、地元の住民から応援されることもしばしば。「近所のトレーニング施設で “お兄さんテレビで見たよ。頑張ってね!”って奥様方からよく言われてます」と笑いながら教えてくれた。

新潟で3×3を伝えていくために
このようにポジティブなことも増えているだけに、今後はチームをより“広く知ってもらう”、そして3×3という“競技そのもの”をどうやって伝えていくか。これが彼らの次なる目標である。新潟は新潟アルビレックスBBや新潟アルビレックスBBラビッツといった男女のトップチームや、高校と中学校で全国レベルの強豪校を輩出する土地だ。BEATERSが根付くポテンシャルは十分にある。

まず“広く知ってもらう”には、チームの資産がいかせそうだ。いま、チアキッズでコーチを務めるのは、アルビレックス新潟の出身者たち。コロナ禍で中止になったが、その繋がりによって、今年4月にはアルビレックスのホームゲームでBEATERSのPRができる機会が生まれたほどだ。また彼らは自前でリングとスポーツコートを購入。「みんなでイベントを企画して、バスケの体験会やクリニックをやっていきたいです。三条の中心地や新潟市、長岡市にアプローチしていくことを考えています」と意気込みを見せる。

そして“競技そのもの”を伝えるには、「本物の3×3を見てもらいたい」と話す。昨今の新潟で3人制と言えば「SOMECITY」が浸透しているという。同じバスケとは言え、持ち合わせる魅力やルールは違う。

そこで彼らは昨年12月に地元の三条市体育文化会館がリニューアルオープンしたことにともない、SENDAI AIRJOKERとMINAKAMI TOWNを迎えてエキシビションゲームを披露。今年2月には2019-2020シーズンの3×3.EXE TOURNAMENTが同じ会場で開かれ、BEATERSは優勝を飾った。これも地域の方やバスケをやっている子どもたちへ、「本物の3×3を見てもらいたい」という思いを込めてのこと。真意について次のように語った。

「SOMECITYも3×3もそれぞれ良さがあって、3×3で言えば、激しい攻防やマッチアップでのぶつかり合いは醍醐味の一つです。だからこそ、まだやったことがない選手たちに見てもらいたいし、知ってもらいたいです。新潟には良いプレーヤーがたくさんいます。お互いを知った上で、一緒にゲームをするきっかけが生まれていけば、地方のバスケがもっと面白くなるんじゃないかなと感じています」

3×3で活気溢れる町を目指して
コロナ禍ではじまったSANJO BEATERSの2ndシーズン。苦労も悩みを少なくない。しかし、松岡一成の言葉からは、地元から送られる声を励みに、三条で、新潟で、自分たちにできることを着実にやり抜こうとする姿勢が感じられた。コートで結果を出すことはもちろん、「新潟県三条市を中心に町を盛り上げていきたいです。MINAKAMI TOWNのような地域を元気にしようと取り組むチームを参考にしながら、僕たちも本物の3×3を見せて、興味を持って頂けるような活動をしていきます」と、今後に向けて、改めて決意を述べてくれた。

地方の3×3チームが活躍することは、きっと活気あふれる町の光景につながっていく。

※優勝は1952年、1955年、1963年、1964年。1963年は地元開催でもあった。

地方で活動する3x3チームのリアル、新潟・SANJO BEATERSの主将が感じる魅力や苦労

TEXT by Hiroyuki Ohashi

RELATED COLUMN

MOST POPULAR