• COLUMN
  • 2026.05.12

プロとストリートの壁を壊した男/増子匠 a.k.a. TAKUMIインタビュー

2018-2019シーズン・2019-2020シーズンの2季にわたって、B2リーグで平均得点10点以上を記録した、日本人スコアラー・増子匠。
強靭なフィジカルと天性の得点感覚を武器に、外国籍選手が守るリングへアタックできる、稀有なウイングプレーヤーである。
2020-2021シーズンには信州ブレイブウォリアーズに移籍を果たし、国内最高峰・B1リーグも経験(シーズン途中にアースフレンズ東京Zへ期限付き移籍)。
35歳になった2025-2026シーズンは、まさかの無所属で開幕を迎えたが、シーズン序盤に古巣のB3・アースフレンズ東京Zと契約。
途中加入後は、未だ衰え知らずの得点能力で、プレー面はもちろん、百戦錬磨のベテラン選手として精神面でも若いチームを支えた。

また、プロバスケットボール選手としてのキャリアを歩む一方、増子匠はストリートボールクルー・KIDROCの『TAKUMI』という、もう1つの顔を持っている。
今から10年ほど前、ストリートに対する偏見や風当たりが強かった時代から、彼はオフシーズンになると度々ストリートシーンに姿を現し、腕自慢のストリートボーラー達とガチンコの名勝負を繰り広げて、シーズン開幕前に颯爽とプロの舞台へ帰っていく。
ひとたびコートに立てば、そこが体育館だろうと、屋外の特設コートだろうと、クラブチッタ川崎の特設フロアだろうと、磨き抜いた1on1スキルでバスケットボールファンを唸らせ、ストリートボールヘッズをブチ上げる。
いわば、異なるPLAYGROUNDをクロスオーバーする先駆け的な存在。
プロとストリートの間にそびえ立っていた、高く険しいカテゴリの壁を、己の実力1つでブチ壊した大功労者なのだ。
今回は、4/16(木)に開催されたシーズン最終節・東京ユナイテッドバスケットボールクラブ戦後にインタビューを行ない、Bリーガーとして過ごした2025-2026シーズンや、ストリートボールクルー・KIDROCへの想いなど、プロ・アマ問わずバスケットボールに懸ける自身の考えや想いを語ってもらった。


『無所属のサラリーマン』で開幕を迎えた、2025-2026シーズン。

ー本日はよろしくお願いいたします。ー昨シーズンに横浜エクセレンスを退団されてから、どのように過ごされていましたか?

増子:7月〜8月まで、全く何もしていませんでした。
トレーニングは継続していましたけど、バスケからは1〜2ヶ月ほど離れていましたね。
横浜エクセレンスに、残りのバスケ人生を注いで、身を削って続けて、引退したいと思っていたので……まさか契約解除になるとは思っていませんでした。

ー他のチームからは、どのようなオファーがあったんですか?

増子:正直なところ、どこのチームからも声がかからなかったんですよ。
基本的にエージェントをつけていませんし、自分でチームを探していないので、毎シーズンオファーが届くのを待っている形です。
だからこそ、「次はこのチームでやりたい!」という希望は特になかったし、声をかけてもらって、条件や話を聞いて、必要としてもらえるんだったら、どこでもやりたいなと思っていたんですけど。

ーアースフレンズ東京Zへの加入が発表されたのは11月初旬でした。9月〜10月はどのように過ごされていたんですか?

増子:実は、2025年の9月から、一般企業の会社員として働き始めています。
昨シーズンまで所属していた横浜エクセレンスのスポンサー企業で、長野県松本市にある『株式会社巴屋』という、クリーニング事業などを手がける会社なんですけど。
当時から仲良くさせてもらっていて、『ウチの会社でスポーツ事業を始めるから、良かったら手伝わないか?』と誘ってくださって。
来年度から立ち上げる3×3チームの運営業務を行なっています。

ーそのチームでは、3×3の選手として活動する予定なんですか?

増子:元々3×3はやらないつもりだったんですよ。
選手としてではなく、裏方として仕事を頑張ろうと思っていました。

ーアースフレンズ東京Zからは、いつ頃オファーが届いたんですか?

増子:2025年の10月です。
まだ入社して1ヶ月くらいしか経ってなかったんですけど、社長に相談したら『やりたいんでしょ?』と言ってくださって。
10月後半に「やります」と返事をして、11月の試合からチームに帯同しました。

ーアースフレンズ東京Zと契約締結後も、会社員として3×3チームの運営業務を続けられているんですか?

増子:はい。オファーをいただいた時に、予めアースフレンズ東京Zには現状を説明・相談していて、シーズン中も「会社員として一般企業に勤務すること」を了承いただいたうえで、選手契約を締結していただきました。
関係各所のご理解やご協力のおかげで、ありがたいことに今シーズンはプロバスケットボール選手と会社員を両立できています。

ー会社員とプロバスケットボール選手の両立はなかなかハードだと思いますが、今シーズンはどのように1週間を過ごされていたんですか?

増子:基本的には、バスケの練習がない時間帯に仕事をしていました。
たとえば、午後からバスケの練習があったら午前中に仕事をして、午前中に練習があったら午後から仕事をして、土日は試合に出て……。
基本的に、丸1日休みになる日は、ほぼなかったですね。

ー2021-2022シーズンぶりの復帰になりましたが、今季のアースフレンズ東京Zは、どのようなスタイルのチームでしたか?

増子:ポイントガードとインサイドが中心のチームです。
基本的には、ガードとセンターのピック&ロールからオフェンスを展開するバスケでした。
これまでのキャリアで、あまり経験したことのないスタイルだったので、アジャストするのが難しかったですね。

ーご自身では「増子匠」をどのようなタイプの選手だと認識されていますか?

増子:基本的に、何でもやりたいタイプなんですよ。
ハンドラーにもなりたいし、味方も活かしたいし、点も取りたい。
昔は『点を取ること』が自分の中で絶対的に自信を持っている部分だったんですけど、今はパスも楽しいし、ディフェンスで相手のエースを止めるのも楽しい。
外国籍エースがいる時間帯はパスが出せるし、逆に外国籍エースがいない時間帯は自分で点を取れるので、割と何でもできるオールラウンダーだと思っています。
だからこそ、色々な面でチームの力になりたかったんですけど、基本的に今シーズンのウチはポイントガードがボールを多く持つシステムだったので、自分に与えられていた役割は限定的だったと思っています。

対照的に、今日出ていた武本祐ルイスは、ディフェンスが強みの選手で、オフェンスはキャッチ&シュートが中心です。
ディフェンスでエナジーを出せるキャラクターなので、今季のチームにはめちゃくちゃフィットしていたと思います。

ー今季はチームからどのような役割を期待されていましたか?

増子:『点を取ること』もそうですが、『ベテランとしてチームを支えること』を一番求められていたのかなと思います。
とはいえ、僕は元々口数が多いタイプではなくて、どちらかと言えばプレーで引っ張るタイプの選手なので、自分自身が上手くできていたのかは分かりません。
ただ、今季の個人的なチャレンジとして、ベンチで下を向いてる選手に自分からコミュニケーションを取るようには意識していました。
隣に座る若手選手がミスをして代えられてしまった時は、「気にしない方がいいよ」と、次のプレーに響かないよう声を掛けるようにしていましたね。

ー今日のゲームでは、ベンチにいる時間帯が多かった(3:44出場)と思いますが、どのように試合をご覧になっていましたか?

増子:お互いに1対1の多い試合だったと思います。
中盤までは競っていましたが、TUBC(対戦相手の東京ユナイテッドバスケットボールクラブ)がシンプルにバスケをするようになってから、徐々に点差を離されてしまった印象です。

今季のウチは基本的にガードの1対1か、インサイドが頑張って点を取るスタイルなので。
必然的に主力選手のプレータイムが偏ってしまいますし、後半はガス切れになってしまいました。
でも、お互いタフに最後までバチバチやっていたので、試合として見応えはあったんじゃないですかね。

ーご自身のパフォーマンスはいかがでしたか?

増子:(外してしまった)3ptシュートは決められたシュートだったと思いますし、フリースローも1本落としてしまいました。
もうベテランと呼ばれる年齢なので、たとえプレータイムが少なかったとしても、チャンスでシュートを決めきれないと、今後は残っていけないのかなと思います。

ー2025-2026シーズンはどんな1年でしたか?

増子:チームとしては、昨シーズンの主力が流出してしまった分、苦しいシーズンになったと思います。
たとえば、去年までアースフレンズ東京Zにいたジェイコブ・ランプキンが香川ファイブアローズに移籍したり、同じく、ザック・モーアが横浜エクセレンスに移籍したり、井手拓実もライジングゼファー福岡に移籍したり……(井出拓実選手はシーズン途中に復帰)。

また、B3リーグ全体を通して、突出したチームが少なくなったというか、各チームの戦力が均衡しているように感じました。
プレーオフ争いも終盤戦まで続いていましたし、金沢武士団や立川ダイスなど、これまで上位戦線に絡めなかったチームが、今季はPLAYOFFに出場していますし。

ー個人のスタッツ・パフォーマンスはいかがでしたか?

増子:正直なところ、去年の方が良かったですね。
昨シーズンは、これまでのキャリアで一番コンディションが良かったと思います。
一番身体が仕上がってたと思うし、気持ちの部分で余裕があったし。
結果(B2リーグに昇格)や数字(平均得点数9.1点)も残せたし、良いシーズンでした。
それに比べると、今年は結果(15チーム中12位)も数字(平均得点数4.8点)も、全然良くなかったですね。

ー来季の目標を教えてください。

増子:まだ来期がどうなるか分かりませんが、B1にチャレンジしたい気持ちは、正直まだあります。
ただ、それ以上に「どれだけ自分が必要とされているのか?どれだけ自分ができるのか?」が重要だと思っていて。
自分のエゴかもしれませんが、必要とされるのであれば、チャンスをもらえるなら、そこに全力を注いで頑張りたいと思っています。
もしチャンスがなければ、潔く身を引いて仕事を頑張ろうと思っていますが、チャレンジは続けたいですね。


KIDROC結成直後に、プロキャリアスタート。

ー増子選手は、Bリーグが開幕する以前のbjリーグ時代から、ストリートボールクルー・KIDROCの『TAKUMI』として、SOMECITYなどストリートでもプレーされています。
当時は今ほどストリートに対する理解が得られにくかったと思いますが、これまでの所属チームから、『オフシーズンでも、危ないからストリートには出るな!』と反対されたことはありませんでしたか?

増子:もちろん、多少はありました。
でも、実はKIDROCって、僕が中心になって作ったチームなんですよ。
プロに入る前、大学を卒業した翌年の2014年に、たしか泉秀岳(現:さいたまブロンコスHC)に呼ばれて、『WHO’S GOT GAME?(SOMECITY TOKYOの予選イベント)』に出たんですよ。
当日になって1人欠員が出てしまい、交代なしの3人ピッタリで出場して、結局優勝はできなかったんですけど。
ファールトラブルで味方が1人退場してしまって、2on3で逆転勝利した試合があって…(笑)
それが結構なインパクトだったらしく、試合後にTANAさん(ballaholicディレクター)から声をかけてもらいました。

『どこかのチームでストリートやってる?絶対向いてるから、F’SQUADかUNDERDOGに入った方が良い!』と言ってくださったんですけど、当時のF’SQUADはドリブルを突きまくっているイメージがあって(笑)、UNDERDOGは怖かったので(笑)、自分でチームを作ることにしたんです。

ー元々SOMECITYやストリートに興味があったんですか?

増子:そうですね。YouTubeで観て「カッコ良いな〜」と思ってましたし、「自分だったら活躍できるだろう!」みたいな自信があったので、一度やってみたいな、とは思っていたんですよ。
神奈川大学の先輩にあたるTAKAさん(UNDERDOG)をはじめ、周りも僕のプレースタイルを見て『SOMECITYやってみれば?』と言ってくれる人が多かったので。
ちなみに、KIDROCを結成する前の大学4年時に、『DESTROYERS』というチームで、SOMECITY 2012-2013 1stシーズンのSCDL(当時の下部リーグ)に出場したことがあります。
あと1回勝てばレギュラーチームとの入替戦に出場できる、というところまで勝ち進んだんですけど、結局SIMONに負けてしまって、そこでチームとしての活動が終了してしまいました。
KIDROCを結成することになったのは、それから2年後のことですね。

ーKIDROCはいつ頃結成されたんですか?

増子:『WHO’S GOT GAME?』に出た後なので、2014年ですね。

ー結成当初のKIDROCKには、どんなボーラーが在籍されていたんですか?

増子:大学の1年先輩だったKOJI(神奈川大学)と、大学時代に対戦していたNARUSE(駒澤大学)と、HAYATO(東海大学)。HAYATOは大学時代から仲良かったんですけど、プロになる前の社会人1年目に所属していた関東実業団・葵企業でも一緒でした。

ーそう考えると、なかなか豪華なメンバーが揃っていましたね。

増子:はい。TSUKASA(同志社大学→黒田電気)もいたし、目健人(明治大学→パスラボ山形ワイヴァンズ など)みたくプロになったメンバーもいたし。
でも、結局所属チームとの兼ね合いで、最終的にSOMECITYへ出れなくなるメンバーが多いですね。
僕自身も、KIDROC結成前後に受けたトライアウトで合格して、bjリーグの福島ファイヤーボンズからドラフト指名をいただいたので、SOMECITYの(レギュラーチームになるための)予選『WHO’S GOT GAME?』には出場していないんですよ。
KIDROCがレギュラーチームになれたのは、KOJIとNARUSEのおかげですね。


プロを経て、KIDROCで1年越しのストリートデビュー。

ープロバスケットボール選手になってから、初めて出場したストリートのイベントを覚えていますか?

増子:『DESTROYERS』での活動を除けば、初めて出たのは、2014年のスピンオフイベント『SOMECITY PLAYGROUND』だったと思います。
プロ・大学生・ストリートがそれぞれ即席チームを作って戦うトーナメント方式で、チームで、遥 天翼(現:熊本ヴォルターズ アシスタントコーチ)さん、原 毅人(現:滋賀レイクス代表取締役社長)さんたちとプロチームで出場しました。

ーKIDROCのTAKUMIとして、初めてSOMECITYに出場したのはいつ頃ですか?

増子:初めてSOMECITYに出たのは、福島でプロ1年目を過ごした後のオフシーズンです。
自分でKIDROCを立ち上げた1年後に、ようやくSOMECITYの舞台に立つことができたので感慨深かったですね(笑)
翌2015-2016シーズンは、当時NBDLの八王子ビートレインズ(現:B3リーグ・八王子トレインズ)と契約したんですけど、4試合ほどプレーさせてもらいました。

ー翌年以降もオフシーズンの度に、KIDROCやストリートでプレーされましたよね。
個人的には、2017-2018 TOKYO 1st #3のF’SQUAD戦が印象的でした。

増子:4度のオーバータイムに突入したゲームですね(笑)!
負けちゃったけど、ワクワクしたし、本当にめちゃめちゃ面白かったです。
意地の張り合いというか、スタイルのぶつかり合いというか。

ー相手が誰であれ、一切手を抜かずにスキルとフィジカルでねじ伏せるスタイルが清々しかったです。
その一方で、全力でプレーをするあまり、怪我をしないかハラハラしていたのも事実ですが……。

増子:たまに聞かれるんですけど、正直なところ、ストリートで大きな怪我をしたことはないんですよ。
プロのシーズンが開幕してから、腓骨(ひこつ)っていうスネの骨が折れちゃって、『オフシーズンに出たストリートのイベントで怪我をしたんじゃないか?危ないから今後は出るなよ』とチームから注意を受けたことはありましたが、ストリートが原因ではありません。
ストリートをよく知らないフロントスタッフからは、やっぱり当時の印象が良くなかったので、仕方ない部分はあると思います。
今はだいぶ変わりましたけど、当時は“チャラバスケ”だと思われていたので。
所属チームの社長に「SOMECITYに出たいんですけど」と伝えたら、『えっ、それ何?』と言われたこともあります(笑)

でも、本当にストリートで、プロキャリアに影響が出るほどの大怪我をしたことはないんですよ。
どちらかと言えば、3×3のリーグが始まったのが大きかったかもしれないですね。

僕もUTSUNOMIYA BREX.EXEとTACHIKAWA DICE.EXEでプレーさせてもらったことがあるんですけど、ちょうどその時期に、3×3でプレーする5人制のプロ選手が増えたんですよ。
その分、怪我をしてしまう選手も増えてしまって。
それから『怪我のリスクがあるので、違う団体ではバスケしないでほしい』と考えるチームが増えたと記憶しています。

ー【ストリート=悪】ではなく、【他の団体やコミュニティなどチームが管理できない場所で怪我をされてしまうと困る】ということでしょうか。

増子:そうです。たしかに、それは「ごもっともだな」と思いますし。
正直なところ、本当はもっとSOMECITYに出たかったんですけど。
来季の契約が決まってしまうと出れなくなってしまうので、オフシーズンの契約前に、1〜2試合出るのが精一杯でしたね。


『ストリート=自分らしさを忘れないための場所』。

ープロに進んで以降、「自分でKIDROCを作ったのに、オフシーズンでないと試合に出れない……」という状況が続いていましたが、『TAKUMI』はKIDROCの中で、どのような立ち位置なんですか?

チーム創設から主力メンバーは変わってしまいましたが、『KIDROCを作った人』という雰囲気は、まだチーム内であるんじゃないかと思います。
今でも、メンバーが『増子のおかげでできたチームだから』『チームのボスはお前だよね』と言ってくれるので。

Bリーグのシーズン中も、何度かKIDROCの応援に駆けつけられていますよね。メンバーとはプライベートで頻繁に連絡を取り合ったり、会ったりされているんですか?

増子:試合後に皆でゴハンに行くことはありましたよ。
でも、プライベートで全員集合する機会は少なかったですね。
KOJIも何年か前に地元の山梨に戻ってしまいましたし、他のメンバーも神奈川とか埼玉とかバラバラの場所に住んでいますし。
基本的に試合のある日だけ集まって、試合が終わったら近くで食事をして解散、みたいな流れですね。
個人的にHAYATOやKOJIと会って遊んだり、年に1回KIDROCのメンバーで山梨にあるKOJIの実家へ遊びに行ったりしたことはあります。

ーここまで話を伺って、KIDROCが【基本的に試合当日しか集まらない】のに、【結成当時からロスターが大幅に入れ替わっている】にもかかわらず、【10年以上にわたってSOMECITY TOKYOのレギュラーチームに名を連ねている】のは、改めてすごいことだと感じました。

増子:そうですね。でもそれは、NARUSEのおかげです。
正直なところ、今のKIDROCは本当にNARUSEで繋がっています。
皆『KIDROCK愛』はあっても、それぞれの生活があるので。

ーご自身にとって、KIDROCKとはどのような存在ですか?

増子:僕にとって、KIDROCはファミリーです。
元々、UDNERDOGみたいなチームを目指したいと思ってたんですよ。
バスケだけじゃなくプライベートでも繋がる、ファミリーみたいな存在を。
最初は大学時代の仲良いやつと、好きなやつらだけを集めて始まったんですけど。
「上手い下手関係なく、自分たちが一緒にやりたいやつを呼ぼうぜ!」という感じで始まったので。

ー『KIDROCを作った当事者だから』という事実を差し引いても、増子匠という選手は、プロのストリートに対する偏見が強かった時代から、リスクを覚悟でストリートに出場してくれた大功労者だと感じています。
これまで、bjリーグ・Bリーグ・3×3など様々なカテゴリーを経験されてきましたが、ご自身にとってストリートとはどのような場所ですか?

増子:シンプルに、バスケが楽しいと思える場所ですね。
プロになると、チームのために、やっぱり自分が我慢しなきゃいけないところとか、コーチの言うことを聞かなきゃいけない場面があるんですけど、ストリートは自分のやりたいことを遠慮なく出せる場所でした。
自分らしさを忘れないための場所だったなとは思いますね。

カテゴリーの垣根がないというか、ストリート、学生、プロ……色々なPLAYGROUNDから負けず嫌いのバスケ好きが集まって、経歴やバックグラウンド関係なしに、その日の1番を決める『純粋な場所』です。
それが、すごく楽しいんですよね。

2026年4月24日、2025-2026シーズンの所属チーム・アースフレンズ東京Zは、複数年契約を結んでいた増子匠との選手契約解除を発表した。

また、2日後の4月26日には、増子匠の個人Instagramアカウントから、『SHINSHU MATSUMOTO TopEVOLVE(信州松本トップエボルブ)』という3×3チームが新設されたこと、そして、同チームと増子匠が選手契約を締結したことが発表された。
同チームを運営するのは、冒頭で触れた「アースフレンズ東京Zの契約前から裏方として働いている」という『株式会社巴屋』である。
また、SHINSHU MATSUMOTO TopEVOLVEのスタッフには、GM(ゼネラルマネージャー)として増子匠が名を連ねていた。
取材時に上記のニュースを一切聞かされていなかった筆者は、困惑しつつも、慌てて構成を調整しながら本記事を仕上げているところだ。
こちらが心配になるほど飾らない言葉で取材に応じ、コートの上ではアリーナだろうがクラブだろうが感情を爆発させる。
危うさを孕んだ純粋さに、天性の得点能力に、『バスケットボールが好きで仕方ない』というアティチュードに、バスケットボーラー・増子匠に惹きつけられたブースターやストリートボールヘッズは少なくない。

果たして、B.LEAGUE自由交渉選手リストに公示されたBリーガー・増子匠は、2026-2027シーズンの開幕を、一体どのチームで迎えるのか?
束の間のオフシーズンに、KIDROCのTAKUMIとして、再びストリートの舞台に立つことはあるのか?
久々の参戦となる3×3で、自ら立ち上げた新規参入チームを成功に導けるのか?
プロバスケットボール選手・増子匠として、ストリートボーラー・TAKUMIとして、3×3のGM兼選手として。

PLAYGROUNDやカテゴリーの壁を壊した、ファーストペンギンの挑戦は続く。

プロとストリートの壁を壊した男/増子匠 a.k.a. TAKUMIインタビュー

TEXT & PHOTO by Jose Ishii

増子匠

信州松本トップエボルブ

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