King of 3×3 Basketball―Dusan Bulutのキャリアを振り返る
2010年に世界のバスケットボールシーンへ登場した3x3バスケットボール(以下3x3)。以来10年以上にわたる歴史の中で最も活躍した選手が、今夏引退した。セルビアのDusan Bulut(ドゥサン・ブルト)である。FIBAのクラブ世界No.1決定戦と、国別対抗戦でそれぞれ4度の頂点に。五輪で初の正式種目になった東京オリンピックでも表彰台に登った。キングのキャリアを振り返る。
「今年が最後の年になるかもしれない」
元3x3世界No.1プレーヤーであるDusan Bulutが今夏、現役引退を表明した。7月27日にInstagramへ投稿したポストでは「引退」のワードこそ使わなかったが、プレーヤーとして別れを告げたのだ。ことし39歳を迎えた男のラストゲームは、7月に母国で行われたツアー大会だった。
引退について語ったのは、10月に開催された「Red Bull Half Court 2024 World Final」の会場でのこと。思いのほかその語り口は穏やな印象だった。
遡ること2024シーズンが始まる前のころ。Bulutは「もしかしたら今年が最後の年になるかもしれない」と思っていたそうだ。「電話をくれたみんなとプレーし始めたんだ」と話し「今年プレーしたら、二度とプロとしてプレーすることはないだろうと思っていたから」と言う。
ただ、シーズンを完走することはなかった。彼は「膝のケガをしてしまった」と明かす。それでも「私の心と体が新しいことに向けて準備ができていたのは、無意識のせいだったと思います」と悲観はしなかった。「私にとっては完璧なタイミングでした。なぜなら、私はコートから離れなければならなかったからです」と回顧する。ケガをした自分を受け止めて、その流れに逆らうことなく引退を決めたのだ。
いまは「ただ座ってリラックスし、他のことに向けて自分のメンタリティを変える時間があります」と、落ち着いた日々を過ごしている。
「素晴らしいオリンピック選手になりました」
彼の3x3キャリアを振り返ると、まさにキングと呼ぶに相応しい結果を残してきた。栄光の歴史である。
2012年に初の試合を迎えると、クラブ世界No.1を決めるツアー大会「FIBA 3x3 World Tour Masters」で、2014年と2015年にはNovi Sadのエースとして年間優勝決定戦「Final」で2連覇を達成。2018年と2019年にも再び2連覇を飾った。通算4度の王座獲得は、3x3史において彼らだけ。2014年と2019年には、そのタイトルを日本で獲得した。彼の勇姿に魅了されたプレーヤーやファンは一人二人ではないだろう。
また、セルビア代表としても競技シーンをリードした。ワールドカップでは前身の世界選手権時代を含めて、過去4度のチャンピオン(2012年、2016年、2017年、2018年)に輝き、ヨーロッパカップも2度制覇(2018年、2019年)。抜群の得点能力と、見るものをあっと言わせるアシスト、勝負強いクラッチショットで何度も厳しい試合をものにしてきた。
そして2021年には東京オリンピックに出場して、母国へ銅メダルをもたらした。コロナ禍のため、1年の延期を経て無観客での開催。彼は「オリンピックが日本で開催されたことは本当に本当に幸運でした。なぜなら、これほど大きなイベントを主催できる国は他にないと思うからです」と話す。
もちろん「金メダル獲得という目標を達成できなかったことが、最も残念な経験」という本音も隠さなかった。3x3が五輪の正式種目になった初めてのオリンピックで表彰台の頂点に立つ姿をイメージしていた彼のことを思うと、その言葉の受け止めも重い。加えて「(コロナ禍の)パンデミックのため厳格なマスク着用義務により、世界中の他のアスリートたちとより多く話をするという当初の目的は達成できませんでした」とも語った。
それでも彼のキャリアに、東京オリンピック出場は深く刻まれている。「最終的には素晴らしいオリンピック選手になりました」と話し「日本で起こったことはすべて、私にとっていつも幸せな思い出」とも明かした。
「ゼロからヒーローになるまでの興奮を味わう」
一方で、Bulutは東京オリンピック以降も活躍の世界を広げていった。2021年限りでNovi Sadの活動解散を決めると、同年にはレッドブルが主催する3x3のグローバルトーナメント「Red Bull Half Court」に出場。セルビア予選を勝ち抜き、World Finalでは、彼が劇的な決勝弾を放って優勝を飾った。
FIBA 3x3とRed Bull Half Courtの違いについて、彼は「ルールは似ていますが、Red Bull Half Courtの雰囲気と精神は、FIBAと完全に異なると思います」とコメント。「地元の大会でプレーして優勝し、国内決勝で優勝し、世界大会で自国を代表するというような、ゼロからヒーローになるまでの興奮を味わうことができます」と言葉に熱を帯びる。
また、2021年よりアメリカの3on3リーグ「BIG 3」にも本格的に挑戦した。Powerで1シーズンを過ごし、2022年よりAliensのキャプテンになって、東京オリンピックでラトビア代表として金メダルを獲得したKarlis Lasmanis(カーリス・ラスマニス)らとチームメイトに。「すべてがとても組織化されていたので、バスケットボールに費やした最高の年でした」と切り出し、こう続けた。
「NBAの経験を持つ選手たちと対戦することは、夢が叶った瞬間でした。私たちはアップダウンを繰り返しながらも、1年で成功を収め、セミファイナルまで進みました。その年、私はリーグ最高の助っ人となり、オールスターゲームにも出場したんです。最高の経験の一つでした」
ただ、残念だったこともあった。BIG 3参戦によって彼は「FIBAから2年間の出場停止処分を受け、FIBAのプロサーキットでプロとしてプレーすることができなくなりました」と明かす。
それでも彼はそんな状況もポジティブにとらえた。「私はいつも仲間たちと一緒に冒険することを大切にしています。誰かが私を呼ぶたびに、私はそれに飛びつきました。競争して、新しい友達を作り、新しい経験を積むということです」と振り返る。きっとBulutとプレーできた選手たちにとっても刺激的な時間となったに違いない。
「またお会いできることを楽しみにしています」
そんなキングはこれからどこに進むのか。彼の現役時代を思い返すと、常にトップレベルで戦い続けてきた。彼に聞けば、日本の生産現場や組織でよく聞く「カイゼン」に関する本を読んだことがあるそうで、バスケットボールに対して「献身的に取り組み、常に一生懸命働いてきました」と話し、No.1であり続けた本質を明かす。
「私の理想とする人たちは努力を惜しまない人たちでした。そして、それが今の私を作り上げたのです。また、何かに一生懸命取り組んでいるとき、競争が始まるとき、それは他の人よりも自分にとって良いことです。だから、私は他の選手よりも優位に立てるし、有利になると思います」
「もしあなたが何か良いことをしたいのであれば、それに専念しなければなりません。私の場合は朝起きて最初に考えること、そしてバスケットボールに行く前、最後に考えることは“どうすればもっともっと上手くなれるか”ということでした」
ただ、そんな経験をしたとは言え、今後「自分自身をコーチだとは思っていません」とも言う。スポーツ界に留まりたい意向と「誰かが何か知識を必要としているなら、私はいつでもそれを共有します」という考えがある中で、役割は別にあると思っている。彼は「ビジネスやマネージャーのような難しい役割の方が向いているかもしれません」と、今後のキャリアプランを示唆している。
さらに、日本も選択肢になるかもしれない。リップサービスかもしれないが、過去に「飛行機に乗って向かっているとき、日本に住んでいる自分の姿が目に浮かびました」という。今後も「日本から電話がかかってくると、私は荷物をまとめて日本に行きます」とコメント。日本のプレーヤーやファンに対して「またお会いできることを楽しみにしています」とメッセージも寄せてくれた。
そして、パリで2度目のオリンピックを迎えた3x3バスケットボールの今後についても聞いてみた。あとに続く選手、コーチ、関係者の成功を彼は願っている。
「3x3はすでに大きなレベルで存在しています。このスポーツが本当にオリンピックのレベルにふさわしいものであることは素晴らしいことですし、オリンピックに残り続けることを願っています。選手だけでなく、コーチやマネージャー、理学療法士、ジャーナリストなどより多くの人々が、スポーツで生計を立てていく機会を得られることを願っています。それが最終的に重要なことだと思います。そして、世界中でより多くのプロモーターやプロリーグが誕生し、選手たちが異なるレベルでプレーする機会を得て、プロとして活躍できるようになることを願っています」