CAPTURE THE MOMENT | Kobe Bryant
現地時間2020年1月26日、 ヘリコプターの墜落という不運の事故により41歳という若さでこの世を去った元NBAのスーパースター、コービー・ブライアント。一日も欠かすことなく成長のために努力する彼のバスケットボールに対する姿勢はマンバメンタリティーと呼ばれ、世界中のプレーヤーに影響を与えた。あまりにも早すぎる逝去を謹んでご冥福を祈るとともに英雄の功績を讃え、FLY Issue03からコービー・ブライアントをフィーチャーしたCAPTURE THE MOMENTを転載したい。
孤高のスーパースターが限界まで追求したバスケットボールキャリア
コービーのNBAキャリアほど孤独を感じるものはなかった。ジョーダンに次ぐ数々の功績を残し引退をしたコービーだが、いつもどこかに孤独のオーラを発していた。その理由はコービー本人の持って生まれた性格に由来するのだろう。この孤独を肌で感じたいくつかのエピソードを紹介したい。
2002年、コービーは史上最年少で3度のNBA優勝を手にした。しかし、正直その時のコービーは心から喜びを感じていたのか疑問だった。
「まだまだ自分の力を出し切ったとは言えない。この3度の優勝はシャックがいて成し得た偉業だ」とコービーは言った。
この言葉はシャックに敬意や尊敬を込めて語られたものではなく、コービーにとってみれば「自分で掴んだ優勝ではないから」という思いが行間には込められていたのではないだろうか。案の定、2003年のプレーオフではカンファレンス・セミファイナルでスパーズに敗れ4連覇は果たせず、その翌シーズンにはカール・マローン、ゲイリー・ペイトンと成熟したベテランを獲得し、王座奪回を狙ったがファイナルでピストンズにあっさりと敗れた。
「チームが自分を向いてやっていくのか、シャックを向くのか、はっきりとしなければならない時期が来た」とコービーは言っていた。
その通り、コービーの言葉は正しかった。シャックはロッカールームでもその持ち前の性格でチームメイトを仲間にしてしまう。そしていつのまにか、シャックはコートでの出来、不出来にかかわらず、チームをいい意味でも悪い意味でも大きく振り回していた。そのことにコービーは納得がいっていなかったのだ。どんな場面でもコービーがチームメイトと和気あいあいとしている姿はなかった。
「自分が選手としてNBAの頂点に立つプレーができて、チームが優勝する。選手同士はコートの上で切磋琢磨すればいいわけで、仲良しチームになる必要を感じない」とコービーの試合に臨む姿勢は、25歳にしてすでに徹底していた。
この徹底さが、周りからは冷たいとか、人情味がないとか、厳しすぎるとか言われ、自分から窮地に追い込み限界まで挑戦し続け、バスケットボールを極めたいと考えるコービーに孤独のオーラを出させていたのは事実だ。2005-06年シーズンからのコービーの得点力はジョーダンをも上回る記録を次々と打ち立てた。1試合に81得点はNBA歴代記録2位、シーズン平均35,4得点で得点王にも輝く。
結局、3連覇から次に2連覇するまでの6シーズンのコービーは勝てば最高のスコアラーと絶賛され、負ければ自分勝手なワンマンプレーヤーと叩かれた。ところが、コービーの稀なところは批判されればされるほど、それが伸びしろにつながっていくということだろう。2006年、2007年と2年連続でプレーオフ1回戦敗退を喫したときは、チームに不平不満をぶちまけトレードしろと言ったこともあった。ジョーダンに自分以上の負けず嫌いと言わせたコービーの性格は人を凍りつかせるようなものを持ち、だからこそ孤独感を醸し出すのだろうと思う。
2連覇を成し遂げたときのコービーはパウ・ガソルという相棒を見つけていた。NBAを制するほとんどのスーパースターたちは必ずと言っていいが相棒がいる。しかし、コービーにはそれが今までいなかった。
「精神的に同じものを持った選手とやっと会えた」とコービーはガソルのことを言っていた。こういうことを心から言うコービーは珍しかった。しかし、2011年に2度目の3連覇を成し遂げられず、ここからのコービーは引退までの5シーズン、3度の大きな怪我でもう思うようなプレーはできなくなってしまった。
シーズン中の対人練習には参加せずに、コートサイドでぽつんと見ていることがほとんど。もうコービーの身体には限界が訪れていたのだろう。2014-15シーズン、アキレス腱断絶と右膝骨折から復帰したときコービーがこう話したのを今でも忘れられない。
「オフェンスのポゼッションで6割のシュートチャンスを僕に与えてくれればチームに毎試合50点以上をもたらすことはそれほど難しいことじゃない。わかるだろ。しかし、毎試合50点をとっても今のレイカーズがそのほとんどの試合を勝利できるかと聞かれたら答えはノーだ。3割は勝てるだろうけど」
このコービーの思いを聞いたときに、もう心と身体のバランスが崩れてしまっているのだろうと感じた。どこか負けず嫌いの言い訳を聞いたようであまりいい気持ちではなかった。
「身体が引退のときだと言っている。気持ちはまだまだやれるのだが」と言ったときは、これがコービーの本当の隠し事のない思いなのだと受け止めた。後でコービーに聞いたが、朝起きると自分で身体をベッドから起こせなかったそうだ。水を飲もうとグラスを持つと何度も手から落としてしまったと言っていた。それほど身体は限界に達していたのだろう。
コートに立ち、戦うことにこれほどシビアに向き合ってきたことができたのは常に自分と向き合い妥協を許さなかったコービーの生き様があったからだろう。コービーはジョーダンと同じように記録もさることながら、記憶に残る選手のひとりだった。
TEXT
Yoichiro Kitadate
Illustration
Tadaomi Shibuya