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  • 2022.05.02

TOKYO DIME岩下達郎の引退に寄せて

さかのぼること2014年。新横浜で開催された3×3の大会に、岩下達郎がいた。スピーディーな攻防に、肉弾戦のような戦い。5人制以上に激しいバスケットボールで、205cmの高さは際立っていたが、当時は彼がこんなにも長く3×3のトップカテゴリーで活躍する選手になるとは、イメージできなかった。ただ、年々その印象は薄れ、今年2月に現役引退を迎えるまで彼はTOKYO DIMEで3度の日本一に。競技シーンの歴史を作る一人になった。

205cmに見劣りした理由
 2014年4月20日の新横浜公園バスケットボール広場。『3×3 TOURNAMENT.EXE 2014 City.1 YOKOHAMA』という大会で、岩下達郎を初めて見た。まだTOKYO DIME(当時DIME)入りする前で、福田大佑や高久順、中山乃不史とMAX03というチームで出場していた。これが彼の3×3デビュー戦でもある。その頃から身長205㎝の高さはゴール下で圧倒的だった。ただ5人制に比べて3×3は、攻守の入れ替わりが速く、ジャッジの基準が現在と違うため、いま以上に激しく肉弾戦のような試合の中で、彼が少し見劣りした印象もあった。アジリティーが特別あるわけでもなく、体の線も細かったからだ。リバウンドへの執着も、この大会でマッチアップし、のちにチームメイトになる落合知也(当時GREEDYDOG)が上回っていた。

 また、ストリートボーラーたちのギラついた雰囲気とは一線を画すたたずまいに、そんな印象を抱いたのかもしれない。記憶がうろ覚えなのだが大会関係者から、試合の合間に彼が芝生で「読書」をしていた姿を見たという声もあったぐらいだ。

歴史を作る一人に「携われたことが嬉しい」
 しかし、岩下に抱いたそんな印象も年を追うごとに薄れていった。むしろ真摯に3×3へ向き合い、チームに必要不可欠な存在であることを感じさせられるようになった。彼はDIMEの初代メンバーとして2014年7月に開幕したプロリーグの『3×3.EXE PREMIER』で本格的に競技の道へ。初代リーグ優勝に貢献し、仕事で約2年間の海外勤務を挟んで2017年に再びコートへ戻ると、DIMEとして2度目のPREMIER制覇の力になった。仕事とバスケを両立をしながら、3×3日本代表候補として強化合宿に呼ばれることもあったほどだ。

 その後、彼は両膝を手術。2018年からも引き続きDIMEでプレーしたが、2019年には外国籍選手の加入もあって満足に試合へ出られないシーズンを経験した。それでも2020年には再び主力に返り咲く。チームとしてJAPAN TOUR初制覇となった『3×3 JAPAN TOUR EXTREME Limited FINAL』で、大きな活躍を見せてくれた。今年2月26日に開催された『第7回3×3日本選手権大会』を最後に現役を引退するまで、獲得した日本一のタイトルは実に3つ。5人制でも高校時代に東京選抜として国体優勝、大学時代には慶応義塾大学でインカレを制覇。U18、U22、U24と年代別の日本代表としても活躍してきたが、3×3でも結果を出し、何もなかった競技シーンを盛り上げ、歴史を作る一人になった。岩下は2014年からこれまでをこう振り返る。

「(今の競技シーンは)8年前には全く想像がつかなかったです。あのときは正直、僕も大学時代の貯金でなんとかできるぐらいになれればと思っていました。仕事の都合で海外勤務があって、それから戻ってきたとき、レベルのはね上がり方がとても印象に残っています。2017年に東京オリンピック(で3×3の正式種目化)も決まって、このような形(で盛り上がる競技シーン)になっていくのではないかという思いがありましたが、今は期待以上に実現されていますね。この場に携われたことが嬉しいです」

彼のベストバウトを挙げるならば……
 岩下のベストバウトはどんな一戦になるだろうか。それを挙げれば2つあるだろう。ひとつは2017年の『3×3.EXE PREMIER』のTOKYO FINALで、2度目のリーグ優勝を勝ち取った決勝戦だ。4名の外国籍選手を擁し、前年のワールドツアーファイナルで準優勝したメンバーを擁するAGLEYMINA.EXEを相手に、岩下は鈴木慶太、小松昌弘、野呂竜比人(現BEEFMAN)と挑み、18-14で撃破。全員が当時の3×3日本代表候補で負けるわけにもいかない一戦で、岩下もゴール下で耐え、攻めてはインサイドで合わせてダンクを叩き込むなど、チームを支えた。

 そしてもうひとつは、2020年の『3×3 JAPAN TOUR EXTREME Limited FINAL』である。この大会は初日の予選プールを岩下と鈴木、小松の3人で挑んで勝ち抜き、翌日は落合知也(現ALPHAS.3×3)が合流して、手にしたJAPAN TOURの初タイトルだった。MVPは鈴木に譲ったが、両日ともにチームは彼の高さを起点に、攻撃を組み立て主導権を握った。

 このシーズンはコロナ禍の影響で落合が毎週のチーム練習へなかなか参加できず、3人でやることが多かった時期。チームとしても同時期に開催されたF1 Tournamentの予選ラウンドで2度も敗れたタイミングだった。そんな苦労した末の優勝に鈴木も岩下の奮闘を勝因のひとつに挙げていた。「岩下自身も結果が出ていないことに責任を感じていました。でも、もう少し僕らも彼をどう組み込めば、その良さが本当にいきてくるのか。今年はこれを突き詰めてやったことで、3人で勝ち切ったJAPAN TOUR(Round.3)や、FINALの優勝につながったと思います。岩下が伸びたことで、プラスになっている実感がありますね」と、話していたほどだ。

 そして当時、岩下もこう話していた。前年はDIMEで出番が限られた中、彼の中に2020年は期するものがあった。

「TOKYO DIMEのフルメンバーはあの3人(鈴木、小松、落合)に外国籍選手(Petar Perunovic)で、その4人がずっと2019年の1年間をやってきたメンバーなんですよね。僕は言ってしまえば、サブでした。でも、コロナ禍ですが2020年は選手としてチャンスが巡ってきた。僕はこの1年間、このままではいけないと思って(2019年の)シーズンオフは体を変えるつもりで今まで以上にトレーニングを積んできました。それがようやく実を結んできた実感があります。遅れてやってきた2020年のシーズンでTOKYO DIMEの一員としてしっかりと認識される。優勝に貢献できるメンバーとしてブレイクスルーしたかったんです。だから、この優勝は僕にとっては念願叶った結果になりました」

 ただ、ベストバウトについては岩下もこの2つであると感じつつも、もうひとつ挙げた。同年9月26日に開催されたJAPAN TOURのRound.3だ。「K-TAさんと小松さんの3人で優勝を決めた大会」に、彼の思い入れは大きい。

 というのも、彼が2年近く抱えていた不安を払拭できたからだ。2017年のPREMIER制覇後に両膝を手術したが、その後は思うように動けなくなったと言う。それも「コートに立つのが怖かった」と思い詰めるぐらいだ。

 それでも、2019年のオフシーズンから体作りに励み、チームとして“戦術・岩下”のバックアップも受けるなど、仲間たちのサポートを支えに試行錯誤したことによって、Round.3で勝つという結果につながった。「優勝したという実績と僕の中での手応えが自信につながって、そこからパフォーマンスが劇的に上がりました。3人で勝ったことが、JAPAN TOUR FINALでの優勝を生んだと思います」と、岩下は現役最後の試合直後に明かしてくれた。

必要とされ続けた姿に思うこと
 このように岩下は2014年から2022年まで3×3シーンの第一線を走り続けた。2014年に彼を初めてみたとき、これだけ長い間、競技のトップシーンで活躍する選手になるとはイメージができなかった。今思えば、本当に失礼な話だ。

 彼のすべてを知るわけではないが、仕事がある中で限られた時間を3×3に注ぎ、ひたむきに取り組んできたのだと感じさせられた。両膝の手術があっても諦めず、2019年は試合に出られなくても彼は腐らなかった。本人曰く「キャリア通して試合に出られなかった時期が続いたのは、あの2019年ぐらいしかなくて、そういう意味では悔しい思いはあった」と話すが「ネガティブな思いは無かった」そうだ。「みんなが日頃から、練習を見てくれていました。試合へ出られないには出られない理由がある。それは僕にあって、そこを腐らずに頑張れば、いつかきっと出られると思っていた」と彼は回顧する。

 そういった前向きな姿勢、他責にしない思考ができるからこそ、チームとしても長年に渡って活動をともにしたに違いない。我々、取材者に対しても話す言葉は、的確でポジティブなものばかり。接し方は紳士的だった。2年のブランクがあるとは言え、2014年のチーム創設以来、所属先の変わらなかった選手は岩下だけだ。彼が周囲に与える影響は大きかったのだ。

 また、それはチームメイトはもとより、彼の同級生にも及んだようだ。現在B2越谷アルファーズに所属する二ノ宮康平も岩下の引退について「キャリアの最初から最後まで第一線でやって、日本代表(編注:5人制の年代別)にも入っていました。そういった中で活躍している姿はとても刺激になりました。僕が大学の進路に迷っていた時には、岩下が一緒に慶応義塾に行こうよと、誘ってくれました。本当に岩下が誘ってくれたから僕のキャリアが今こうなったという思いもあるので、彼には心から感謝をしています」と、語っている。

 最後に、今後の岩下達郎氏について触れておきたい。去る4月29日にTOKYO DIMEよりチームのアンバサダーに就任することが発表された。日本選手権が終わった直後こそ、彼は「いまこの瞬間は僕が何か(3×3)に関わるという考えはないんです。まずは一人のサポーターとして、この繁栄を一番近くで見守っていきたいです」と話していたが、やはり選手を引退しても必要とされる人材であることに変わりはないようだ。
 18年間の競技生活に幕を閉じ、3×3の歴史を作ってきた205cmのビックマンは、新たな立場で競技の魅力を伝え、広めてくれるに違いない。

TOKYO DIME岩下達郎の引退に寄せて

TEXT by Hiroyuki Ohashi

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