DADA Presents interview with HOT SAUCE|ボールハンドリングだけで世界中から呼ばれる男

FEATURE | JUL. 27, 2017

1998年、バスケットボールブランドAND1が小売店のプロモーション用のビデオとしてドロップして一世を風靡したAND1 MIXTAPEの続編、AND1 MIXTAPE Vol.3でデビューし、個性豊かなTEAM AND1で一躍スターダムにのし上がった稀代のハンドラーHOT SAUCEが「HOT SAUCE CROSSOVER TOUR by DADA」で来日。過密なスケジュールの合間を縫ってインタビューが実現した。

ーまずは生い立ちを聞かせてもらえますか?

「ケンタッキー州で生まれて、1週間後にフロリダに移り住んだと聞いているよ。だから育ったのはフロリダなんだ」

ーバスケットボールとの出会いは?

「バスケットボールを始めたきっかけは、試合を見てこういう選手になりたいとかじゃなく、ボールをつくという趣味の一環で始めたんだよ。とにかく毎日ボールをついてた。ドリブルしてすれ違う人をからかったりしてね。小さい頃から良い人生を送れていたわけじゃなかったから、学生時代はいろんな問題を起こしたりしてたけど、ボールをついている時だけは何もかも忘れて自分の好きなことをしているっていう実感が持てた。それが今の自分のハンドリングスキルの原点さ」

ーカレッジでもプレーしたと聞いてますが?

「トライアウトを受けてインペリアル・バレーカレッジに入ったんだ。1年間しかいなかったけど自分の名前は大学中に知れ渡ってたよ。ランチの時にメキシコ人の友達に自分のボールハンドリングを披露したのが広まっていって、いろんな人が自分の名前を聞いてきたんだ。『俺がHOT SAUCEさ』っていう具合にね」

ーその時はすでにHOT SAUCEというakaは持っていたの?

「そうだね。大学に入る前からそう呼ばれていたよ。公園でシューティングをしている時に自分でSAUCE!SAUCE!と言いながら打っていたんだ。それを見ていた人たちがある時からHOT SAUCEと呼び始めたんだ」

ーAND1 MIX TAPEとの出会いは?

「やろうと思えばカレッジでプレーし続けることもできたんだけど、コーチからもっとゆっくり落ち着いてプレーしろとか、一つのムーヴでアタックしろとか言われたんだ。でも自分はそういうプレーに慣れていなくてチームから離れた。その年の夏、アトランタの実家に帰った時にちょうどAND1 MIX TAPEが出てSkip To My Louが活躍してたんだ。とにかくビデオをずっと見続けていたよ」

ーTEAM AND1に入るきっかけは?

「すぐにMIX TAPE vol.2が出で、それを友達と見ていた時に『お前はこれをやるべきだろう』って言われたんだ。そこにはカッコよい動きだったりダンクだったりいつも自分がやっているプレーが詰まっていたからね。すぐにビデオ制作会社の連絡先を探したよ。ビデオの裏とかね。でも当時は何も載ってなくてあきらめて大学に戻ったよ」

ーどのタイミングでTEAM AND1と交わっていくの?

「その後にMIX TAPE TOURを6つの都市でやるって聞いてまたアトランタに戻ってきた。アトランタの他にもロサンゼルス、デトロイト、シカゴ、ニューヨーク、あとひとつは忘れたよ。1ヶ月間位かけてトライアウトが実施されたんだけど、ちょうどその時、友達がヘマをして捕まって僕も一緒に刑務所に3週間入ることになっちまった。地元のジムでトライアウトが行われたんだけど、俺を知っているみんなは言ったのさ。なんでHOT SAUCEがいないんだって!」

ー映画のワンシーンみたいですね

「一緒にバスケをやっていた何人かの友達がトライアウトをパスしたんだけど、そいつらのムーヴはみんな俺の真似だった。でもAND1のチームディレクターはそれを見たことないムーヴだって評価したんだ。そこで、このムーヴにはオリジナルがいるけど今ここにはいないって話になったら、オリジナルはどこだって。そんな経緯があってAND1のチームがお金を払って俺を刑務所から出してくれたんだ」

ーすごいストーリーですね。それからどうなったの?

「自分が出所した翌日にカルフォルニアに連れて行かれた。理由は後から分かったんだけど、MIX TAPE vol.3の撮影だったんだ。そこで自分はいつもどおりのプレーをして、自分の目の前の相手に恥をかかせたんだ。もちろん観客は俺のことなんか知らないけど、どんどん盛り上がっていった。そして、デトロイト、シカゴでも俺はいつもどおりのプレーをしてAND1との契約を勝ち取ったんだ。MIX TAPE vol.3では俺がフィーチャーされていた。小さな街のレジェンドだった俺が全米に知れ渡った瞬間だった。vol.3は過去最高の売上を達成してHOT SAUCEの名が歴史に刻まれたのさ」

ーいきなりのサクセスストーリーですね。チームメイトとの関係は?

「AND1のチームメイトに言われていたのは、HOT SAUCEが全部やっちゃうから、1つ2つやったら俺らにも残してくれって(笑)。 もちろんチームメイトとは競い合う環境だったけど、SPYDAと仲が良かったかな。そういうライバル心を持ちながらでもロッカールームでは、お互いの動きを確認したりしてどんどんパフォーマンスを高めることができたんだ」

ー当時日本でのAND1ブームもすごかったんですが、日本についての思い出はありますか?

「日本人といえば、SAMURAIのことはもちろん覚えているよ。日本でのツアーのことは中々思い出せないけど、カメラの数がすごかったな。あっ思い出したよ。自分のヘアスタイルがトレードマークだったコーンローでもなく、アフロでもなく髪が短かったな。あと昨日のことのように覚えてるのが、ユニフォームのHOT SAUCEのスペルが間違えててHOT SAUSEになってたんだ。多分映像にも残ってると思うよ(笑)」

ー髪型のことを覚えているんですね。

「ヘアスタイルはとても大事なんだ。日本に来る前に中国に行ってたんだけど、バーバーショップがなくて、一度コーンローを編みにアメリカに戻ってまた来たくらいだからね」

ーそれはスゴイ。日本も含め中国などアジアのバスケットボールのレベルは上ったと思いますか?

「アジアだけの話じゃなくて、自分の名前が売れ始めた頃は、ボールハンドリングがスゴイやつなんてそんなに多くなかった。当時はチームに2、3人って感じだったけど今では10人はいるよね。そういう部分はすごく成長したと思うよ。昔でこそハンドルのスキルってストリートボールのツアーなんかでしか学べなかったけど、今ではYOUTUBEやNBAを観ていたってステフィン・カリーやケンバ・ウォーカーからハンドルスキルを学べるよね。ボールハンドリングのレベル自体が上ったよ」

ーそれは実感できますね。今でもハンドルスキルの向上にフォーカスしているんですか?

「今は自分が一番になるっていうよりも、自分のブランドのビジネスをしたり、子供たちに教える側になってきた。もちろんプレーもするけど楽しむためにやってるよ。年齢も重ねたし以前のようにアンクルブレイクを狙うってわけにはいかないからね。子供たちには同じことを何度もやって、それをコートでトライするのが重要だって教えてるよ。トリッキーなことをやるには基礎が大事だってね」

ー今後の目標は?

「次の目標は13歳になる自分の息子を連れてきて、日本の子供たちと交流させたいんだ。息子にも自分のブランドのマーケティングを手伝ってもらってるし、自分の持っているスキルを次世代の子供たちに全て伝えたいんだよ。バスケットボールの理論ってのはよく分からないけど、自分が長年かけて培ってきたハンドリングスキルっていうのを伝えていきたい。自分を世界中に連れて行ってくれたこのボールハンドリングをね」

Philip ” HOT SAUCE ” Champion

2000年代のアメリカを代表するストリートボーラーの一人。AND1 MIX TAPEが見出した変幻自在のムーヴは、NBAプレーヤーをはじめ世界中の数多のプレーヤーに影響を与えた。現在もアメリカ国内はもとより、世界中をイベントやキャンプで巡り、錆びることないムーヴを披露している。自身のブランドHs3 BRANDを展開し、DADAとのコラボレーションモデルも発表している。

HOT SAUCE CROSSOVER TOUR by DADA

DADAの最新プロダクト情報

What’s DADA

DADA の語源は 1990 年台初頭に起こった芸術思想・芸術運動の DADAISM が由来。
DADAISM とはニューヨークやヨーロッパで発生した、既存秩序や常識の否定、破壊といった思想。
ある芸術家がナイフを突き立て、「 DADA 」という単語を差していたことに由来する。
DADA SWORD ロゴのデザインは、このナイフをイメージしている。
既存概念にとらわれない独自性の高いデザインは DADAISM の思想をブランドコンセプトとして受け継いでいる。

DADA

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